聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
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第43回(2009.12.21) 『ありがとうの理由』

皆さんこんにちは!Mauです。

もうすぐ五歳になる姪を連れて、月に何度か遊びに出かけます。
私にとっては妹の子供。姪にとっては母親の姉。
ちょうど良い距離感です。

保育園で覚えてくる日本語は日々増えていきます。

ついこないだまで「かっぱ寿司」がうまく言えなくて、大人はみんな微笑みながら「かっちゃむし」に付き合っていました。ところが先日、その寿司屋の前を通りかかると、「あ!かっぱずし!」と叫んだので、「あれ?“かっちゃむし”じゃないの?」と茶々を入れてみました。彼女は看板を指差しながら、少し怒ったように「ほら、だって“かっぱ”って書いてあるでしょ。お姉ちゃん(彼女の母親に倣ってそう呼ぶ)ちゃんと見て!」と返されてしまいました。ああ...つまらないな〜。

時には誰もがあっと驚いたり、核心を突くような台詞を言って周りを驚かせます。
最初のうちは「もしかしてこの子は天才??」と身内びいきで判断をしていましたが、そのうちに、彼女が発する“新しい言葉たち”には、あまり深い意味はないことが分かってきました。
的が外れてとんちんかんなことを言うときに、周りの大人たちは大笑いします。彼女は笑われたことに不満を表明し、不機嫌な顔になって、どうして笑ったのかと詰問します。

どうやら今の時点では、ひたすら模倣をし、シチュエーションに合わせて、あたらしく覚えたフレーズを当てはめてみる(試している)状況のようです。ありとあらゆる場所での言葉の使い方を観察しているのでしょう。

ちょっと立場が悪くなったり、やりたくない状況になると、「まーちゃんはまだちいさいからできないの!」と言い返し、遊びが楽しくなってきてまだ帰りたくないときは、「ママはお勉強してるからまーちゃんはまだお姉ちゃんと一緒に遊ぶ!ちゃんといい子にしてるよ。」としっかり頭の中には作戦があったりもするのですが。

こんなこともありました。
ある日、私の友人と姪とで出かけた日の帰り道。
友人を家まで送り届けてさよならの時になって、「よし、Mちゃんにさようならとありがとうを言おうか」と、運転席から後ろの姪に振り返って言うと、どうしてそうしなければいけないのか全くわからないという顔をしています。

「なんでありがとうって言うの? まーちゃん、さっきお菓子をもらったときに言ったもん!」

「さっきのは、お菓子をありがとう。今度のは、一緒にいっぱい遊んでくれてありがとう。
まーちゃんがうれしかったな、楽しかったなと思ったときに、何回でもありがとうって言っていいんだよ。そうするとまーちゃんにありがとうって言われた人もうれしくなるんだよ。」

帰りの車の中、まだ少し不満そうな顔をして、しばらく彼女は黙っていました。
ところが突然、「ねえ、お姉ちゃん。さっきMちゃん、まーちゃんがありがとうって言ったからうれしそうだったね。」

「ありがとう」を言う理由が彼女なりに分かって、その顔はとたんに明るくなりました。

大人になると条件反射のように、お決まりの場所では自動的にその状況に応じた言葉が出てきます。

「こんにちは」「おつかれさまです」「ありがとう」「さようなら」。
そんなことあなた!いい大人なんだから当たり前でしょ!と言われてしまいそうですが、時に心が伴わずに、言葉だけが勝手にしゅるしゅると口先から出て来てしまうことがあります。

そんなとき、私たちを観察しているこどもたちにとっては「なぜここでその言葉が出てくるのか」、分からない状況だと思います。しゃべっている本人にも、理由などないのかもしれませんが。

でも自動的に出てくる言葉に自分自身をだまされたくないとも思うのです。
私がしゃべっている言葉に惑わされるというのもへんてこな話ですが、いつの間にか(あれ?なんで今まで実は考えたこともないこんなことを話しているのだろう?)ということはないですか?
私はありますよ。

(へー、私、こんなことを考えていたの!)と思わぬ言葉に純粋に驚かされることもあれば、(何様よ!)と後から思い出して恥ずかしくなったりもします。

「なぜ」この言葉が、このタイミング、そして態度で発せられるのだろうかと、背後で私を観察をしている小さな目と耳に気がつくと、私の中にいつもは隠れている大人センサーがピコピコ光りだします。

さらば「何となく」。

そんなことを、姪から教えられます。

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市場マジック。
ぴっかぴか笑顔の野菜やおばあちゃんたちに会うとついつい買いすぎちゃいます。
大事に育てられたものだから、大切にいただきたいと思います。
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by machi-life | 2009-12-21 23:59 | mau+chie life

第42回(2009.12.13) 『映画の楽しみ方』

Hello Again !!
2009年最後の月は、聴こえるMAU、聴こえないCHIEが交代でエッセーをお届けします。

***

映画を観るときってどういうとき?
気分転換やデート、そして遊びに行くとき。。。

観に行く動機が人それぞれであるように、映画もまたそれぞれのストーリーがあって中には自分の人生と重ね合わせて観ることもあったりします。

よく「感動した!」「何か気持ちが伝わってきた」と感涙する方もいらっしゃいますが、これは自分が体験したことと重なったということもあります。

私にとって、聴こえないわたしにとって、映画はとても身近な「先生」です。ほとんどが海外の人たちばかりでしたが、最近は日本人も加わるようになりました。

映画が好きという話になると「邦画と洋画のどちらか好き?」という話題になりますが、以前は「洋画!」と答えていました。

理由はとてもシンプルなのですが、「字幕があるから」でした。
邦画を映画館で観に行ってみるとほとんどは字幕がついていないため、
好きな俳優が出演している映画も諦めてしまっています。

特に「余命1ヶ月の花嫁」は瑛太さんが主演だったのでとても観たかった。その想いをおさえて、DVDが出るのを待っている状態でした(もう出ているのでレンタル予定)。

という風に書いていると、「聴こえないから映画も楽しめないんだね」という見方を持つ方もいらっしゃいますが、逆に、映画が「先生」なので毎回、刺激をいただいています。

字幕からは会話するときの言い方、男女の駆け引きの台詞など、とても勉強になっています。

映画が好きな人は、それぞれの人生を受け止められる人だと思います。
いろいろなストーリーを知っているからこそ、分かることもあると思います。

このように映画は、自分が経験できない世界まで導いてくれることもあり、この地球上にいくつもあるストーリーを教えてくれます。

だから映画好きの気持ちは今後も続いていくと思います。そして、みなさんの中にも映画好きの方がいましたらぜひ語り合ってみたいです。

その場の一つとして、来年3月に「新潟しゅわる映画祭」を開催することとなりました。

普段観る機会のない「手話を使った映画」を上映予定です。
新潟で映画を上映することによって手話の芸術、エンターティメントの新しい創造に向けて準備を進めています(わたしも実行委員メンバーの一人です)。

映画をもっと楽しみながら、誰かのストーリーの中に自分が入れたり、
逆に自分のストーリーに誰かが入ることは、素敵な出会いの始まりであり、
同時に素敵な1ページを作るきっかけになります。

今後もより人生を楽しんでいきます。
Chie


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by machi-life | 2009-12-13 09:40

第41回(2009.12.6) 『カクテルパーティー効果の不思議』

Hello Again !!
2009年最後の月は、聴こえるMAU、聴こえないCHIEが交代でエッセーをお届けします。

☆      ☆       ☆       ☆       ☆ 

唐突ですが、「カクテルパーティー効果(Cocktail Party Effect)ということばをご存じでしょうか?

立食パーティーのように、大勢のひとたちがいて、ワイワイガヤガヤとした状況のなかでも、自分の名前が呼ばれたり、あるいはどこかで誰かが話している、興味のある話題のキーワードなどはなぜだか明瞭に聞き取れる、そんな経験がおありだと思います。

このような現象をカクテルパーティー効果といい、認知心理学の分野では選択的注意(Selective Attention)の代表的なものとして扱われています。

また、誰しも次のような経験をしたことがあると思います。
街を歩いていて、目の前を雑然と流れていく群衆の中で、好きな人の声や姿を見出す。
海外を旅していて、雑踏のどこかから日本語を話す声が聞こえる。

手にした雑誌や新聞を、何の気なしにぱらぱらとめくっていて、ふと、最近気になる有名人の名前、もしくは自分の専門としている分野の記事の載っているページでその手がぴたりと止まる。

あるいは、ふらりと立ち寄った書店で、なんとなく眺めながら書架のわきを通っているとき、前から欲しかった本をはた見つける。

これらもまた、カクテルパーティー効果の一種といえるでしょう。

このように、視覚・聴覚をはじめ、人間の感覚とは良くできていて、溢れる情報のなかから、ある種のフィルターを通して、自分が必要としている情報だけを自動的に拾い上げる機能が備わっているようです。

「なぜこれらに、わたしの目や耳は惹きつけられたのだろう?」

慌ただしい師走の日常のひとこまの中で出会う、不思議だけれど何だか意味深なできごと。

こんなときだからこそ、「私という人間」が今年惹かれた人たち、物たち、情報はいったいどんなものだったのだろうか?そしてそれらは何を伝えようとしてくれたのだろうか?

そんなことを、ていねいに振り返ってみる年末にしたいと思っています。

MAU

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小さな完成のあいまに。ティータイムは次へと向かうエネルギー。
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by machi-life | 2009-12-06 23:47 | mau+chie life