聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
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第19回 (2009.6.26) “ 聞きにくいは、書きにくい? ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

今回は2009年5月20日(火)に、東京新聞に掲載された、聴覚障害者に文章講座 『書く』も困難 「聞きにくい」が影響 という記事の内容から話を始めたいと思います。

誌面に登場する鈴木隆子さんは、「手話通訳技能認定試験」と呼ばれる厚生労働大臣公認の公的資格試験に合格をし、聴力障害者情報文化センターに登録することで資格を得る「手話通訳士」としてご活躍中です。

手話通訳士のお仕事が分かる 鈴木隆子さんのブログ →  "手話通訳.com"
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2009年5月20日(火)「東京新聞」より (画像をクリックすると大きくなります)

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Chie: 新聞記事の内容について、まうさんはどのような印象をお持ちになりましたか?

Mau: 純粋になるほど・・という印象を最初は持ちました。
言葉は、実際に会話の中で使ってみて(練習をしながら)意味合いを確認したり、定着をさせていくことがほとんどではないかと考えています。
聞いたり話したりという他者との練習が不足しがちなろうの人たちにとっては、聴こえる人たちがある程度自然に身に付けてきていることも、「勉強」をしていかなければいけないのだろうな、と想像しています。

Chie: ありがとうございます。
新聞記事の受け止め方は人それぞれですが、聴こえる人から見て、こういった日本語の使い方についてどのように受け止めているのか聞いてみたかったです。
耳で聞く言葉がほとんど少ないため、オノマトペ(擬態語、擬音語)も含めて、文字による情報が必要になります。

最近は、大学に進学するろう者が増えている(少子化による大学の門戸を広げる背景もありますが、ここでは敢えて触れないとします)ので、ろう者でも日本語ができると思われているかもしれないです。

でも、レポートを書く度に聴こえる友人の力を借りながら無事に卒業にいたった努力家の友人もいました。
その人は人間的にとても魅力のある方ですが、日本語による表現が苦手と言っていました。
もし、その友人が書いた日本語を読んで、その人の能力を全て判断していたら、魅力的なところも気がつけなくなる可能性については、新聞記事の内容でも同じことが書かれていますね。

それくらい、ろう者にとっての日本語は、日本に住んでいる以上、手話と同じように切っても切れない言語だと私は思います。

日常生活の会話として、口話や手話による会話はスムーズにできている人が、実際に文章を書くとなると頭を抱えてしまいます。手話と日本語の文法が異なるからですね。
外国人が日本語の壁にぶつかってしまうのと同じだと思います。

書き言葉による日本語は苦手なのに、手話での日常会話はできているから「一体なぜなんだ?」という疑問は、聾学校時代からずっと持っていました。
1つだけ分かったことは、日本語の使い方について知る機会がなかったこと。
適切な教育を受けていればある程度の書き言葉は習得できると思います。

現代では、携帯電話によるメールを通して、話し言葉を知ることができます。
高校時代に関西弁を使う人とメールをしていました、そのときに「〜やねん」が携帯画面に出てきたときは、「こうやって使うんだ〜」と感動しました。

文字として日本語に触れる機会が増えてきたことから、年配の方と比べれば、若いろう者の方が知っている日本語は多いのかもしれません。
それでも、手話と日本語は使い方が異なる言葉であることから、助詞や動詞の活用等の違いは起こりやすい。きちんとした書き言葉が書けるようにするために、教育現場に立っている方々や関係者たちは試行錯誤しながら毎年研究を続けていらっしゃいます。

まうさんは一般的に、日本語が苦手、と言われてピンと来ますか?(もしそうだとしたら)どんな風に苦手だと思いますか?助詞レベルや、語彙の数が少ないとか。


Mau: そうですね。助詞、いわゆる「てにをは」、などは日本語を習得しようとする外国人にとっても難しいと聞きますし、聴者でも間違えることはあります。
ただ、新聞にあったような「作成した文を 直る お願いします」というような文章は、聴者ではまずありえない間違いです。ただし、コミュニケーションとしての日本語、ビジネスマンとしての日本語能力・・・は別に考えていく必要がありそうですね。

Chie: ありがとうございます。新聞にあったような文章を見て、意図は大体理解できますか?

Mau: 意図を掴むことは可能ですが、想像力を要します。このままでは、ビジネスではまず通用しませんよね。日本語だけではありませんが、ほとんどの言語は、「はなしことば」「かきことば」がありますよね。
会話のなかであれば、この文章でもやっていけるでしょうが、書く文であるなら、かなり無理があります。

Chie: そうですね。仕事ができないと判断される可能性もありますね。
手話の単語の順番がそのまま日本語に出ていますね(助詞の役割は、手話では、手以外の動きにあります)。

社会で働くろう者にとっての痛いところはここですね。ろう学校で日本語をきちんと習得できる教育プログラムができていたら解決できたかもしれないです。


Mau: ろう学校では、「日本語」をどのように教わるのですか?

Chie: 私が受けた教育の範囲でお話しします。

幼稚園時代は、親が書いた絵日記を音読しました。
きれいに発音できるかどうかのチェックと、日本語の文章を文字に沿って発声できているかのチェックでした(もちろん、意味を完全に理解して発声したわけでではなく、「意味は分からないけど、書いてある文字を読めばいいや」という風に機械的に読んでいました)。

小学時代からは、発音の練習と国語の教科書を音読。声は全く聴こえないですが、みんな声を出していました。発声と読み方のチェックができるのは先生だけですね。(不思議な光景!?)


Mau: 音読が中心なのですね。
ろう学校での日本語教育プログラムで足りなかったものとはどんなものだと思われますか?

もし、ちえさんが、いまのろう学校で日本語の授業を受持つとしたら、どのような授業にしたいと思いますか?

Chie:授業を受けた立場から言うと、手話、絵、映像による視覚的情報を使った解説がもっとあったら良かったと思います。
具体的な方法について、現場の先生たちが試行錯誤しながら研究しているので、一度お話を伺ってみたいですよね。


Mau: 作文などはありませんでしたか?あるいは、読書感想文とか。

Chie: ありました。でもあまり意味はなかったかもしれないです。同級生も提出していましたが、結局、文章力は上がらないままでした。

Mau: わたしも読書感想文は嫌いでした(^_^;

Chie: 私も嫌いでした。意味が分からない文章を書くような感覚でした。

Mau: なるほど。
自分で書いている文章の意味がわからない、つまり、なにを書いているのか分からない、ということでしょうか・・・何が分からないのか分からない状況に陥ってしまいそうです。
わたしは、読書感想文は嫌いでしたが、読書そのものは好きでした。また、良い文章を書けるようになりたいと思っていました。そこで、好きな作家の文章をただただ写したりしました。写経みたいに。

わたしがこのようなことを始めたのは、書くことが苦手だっただからだと思います。でも書くことは好きだったので苦手だけれども、上手になりたい、と自分のできそうなことから試してみました。以前のブログでちえさんも好きな映画を暗記して、家族の前で暗唱する練習をしたと言われていましたが、それもちえさんが独自で苦手なところを克服しようと編み出したものではなかったのでしょうか。

Chie: 苦手なことを克服しようという意識はなかったですが、結果的にはそうでしたね。
写経みたいといえば、私も似た経験がありました。小学6年生の頃の感想文で、自分の話したい言葉が見つからなくて「私はおもしろいと思いました」としか書けなかったです。そのとき、母が訂正した文章をそのまま書き写していました。

それでもまだ概念がはっきりしていなかったことだけは覚えています。
まうさんと同様、苦手だけれども、上手になりたいという向上心があるから書けるんですよね。
高校時代からは新聞の投稿もあって、文章をもっと書けるようになりたいと思っていました。


Mau: 新聞の読者投稿コーナーのことでしょうか?!私にも夢中になって投稿した時期がありました。
自分の考え方を、全国の不特定多数の方々に向けて発信をし、紙面上で存在を認めていただき、(時には)コメントをいただく喜びを教えてくれたのは新聞でした。これも立派なコミュニケーション方法と呼べそうですね。

他者と関わりながら、生活をしていくことを決めたのであれば、置かれている状況に合った日本語力を求められることは、ろう者、難聴者、聴者に隔たりはなく当然のことだと思います。言葉の言い回しや使い方等はある程度は自然に覚えていくものですが、人によっては練習の機会や方法に選択肢が無い状況もありそうです。

それらを克服するために、一人ひとりに合った学びは必要不可欠ですね。
特に小さいときは、学校や親に頼るしかない状況です。そうするとちえさんが言われているように、学校(特にろう学校?)での日本語教育は、試行錯誤の段階と言いつつも、それぞれの状況に合わせた日本語教育方法に真剣に取り組み、話し合われていくべきことのようですね(聴こえる学校も試行錯誤中ですが)。

ある程度大きく成長をしたら?
「学校が・・・」「親が・・・」と言っているよりも、自分に何が不足しているのか考えて、頭と身体を動かして、こちらから立ち向かうべき対象、目的とする物事に向かっていく方がよっぽど面白い経験ができると私は信じています。

「いかに学ぶのか」は大人になってからもどこまでもずっと・・・続いていきますね。
学び合う者同士、「◎◎を学びたいから教えて下さい!協力してください!」と情熱を持って懇願されたら、、断ることの方が難しそうです。
一生懸命な大人の人間関係は、学校で学ばなくなった今もさまざまなことを教えてくれます。そこから更に教科書には書かれていない日本語力が培われていることは間違いありません。

Chie:他者と関わる上で、言葉は不可欠ですね。不思議なことに、言葉があってもすれ違いや誤解は起きる。でもそれを直すのも、また、言葉。

ボディタッチもコミュニケーションスキルの1つで、言葉とボディタッチの両方がうまくかみ合ったらもっと素敵だと思います。
学校で一人一人合わせることはなかなか難しいことですが、そういった環境を通って社会に出て、手話を通して聴こえる人たちとの交流が増えていくと自然に日本語を知ることにつながると思います。

今、こうしてまうさんと話をしていることもその1つであり、私にとって日本語で考える、日本語を使う機会になっています。

手話という、お互いの意思疎通が可能な言葉を使うことにより、ろう者にとって日本語を知る機会が拡大していく。また、聴こえる人たちも手話を通してコミュニケーションスキルをアップしていくことで良好な人間関係を築いていける。お互いに学び合うことによって、社会を生きる力として養えますね。


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by machi-life | 2009-06-26 22:46 | mau+chie life

第18回 (2009.6.19) “そこに存在するということ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
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"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

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Mau: 今日は先回のブログを少し振り返ってお話を進められたらと思います。よろしくお願い致します。

Chie:よろしくお願いいたします。

Mau:過去にも、“気持ちだけが先走りをして、ちえさんと私二人きりが分かったつもりでお話を進めてしまった”とハッと後から思うことはありましたが、先回のブログは初めてブログに遊びに来て下さった方には少々展開が早くなりすぎたといいますか、深いところへ突然潜っていってしまったように感じた方もいらっしゃったようです。

いつの間にか、ブログも、5ヶ月目(!)に入り、さまざまなことをお話してきました。深い内容に突然どぼーんと飛び込んでしまったり脱線してしてしまうこともありましたね。

それは、流れとしては至極当然のことだと思いますが、お互いに意識をして丁寧に説明を加えていく必要もありそうです
ブログを読んでくださっている方にお願いします。「展開が早すぎる!」、「これはどういう意味?」など、どしどしコメント欄に書き込んで下さるようお願い致します。

Chie: 確かに読み返してみると、これから読む方にとっては「え?話の流れが見えない」と想像ができないところにいっちゃっているかもしれないです。
でも、これは説明を加えれば解決できることと思いますが、「分からない!」という方がいましたら、ぜひコメントをいただけると私もうれしいです。


Mau:先回のお話の中で、ちえさんは、 「(ろう者の中には)“自分は困っていない”と言い聞かせることで生きていく人がいる」、と言われていました。
私自身、多分そうなのだろうなとは想像していましたが、はっきりと言葉にしていただくと、「ああそうなのか、そうだったのか」と改めて思い直しました。
たしかに、普段の生活の中では圧倒的な聴者のなかに、少数のろう者がいる、という場面がほとんどだと思います。気を使われるのもつらい、というのも本音なのだろうと思います。

これはあくまで聴者としての私個人の意見ですが、それでもやはり、聴者はこのような場合、ろう者の方々に対して気遣いをすることは、隣り合わせになった人に対する自然な心遣いだと思います。ちえさんと知り合って分かったことですが、具体的には、同時に意見を発しない、なるべく顔を上げて話す、などといったことでしょうか。

隣りにいる人にもその場所に心地良く居て欲しいと願うことは、たとえ聴者同士であっても普段無意識にも、意識をしても行っていることだと思います。ちえさんはどのように思われますか?

Chie: 「自分は困っていないと言い聞かせることで生きていく」ということにおいて、ろう者の方々に気を遣うのは良くないという意味ではなかったです。
その辺りについて、私の言葉の使い方が微妙だったと思います。お互いに聴こえないことについて知っていることが前提条件になっていればお互いに気持ちよく気をつかうことはとても重要で大切だと感じています。

一方で聴こえる人たちのグループの中に入っている時、聴者同士で討論が盛り上がっているときは、話が進んでいるのに止められない、楽しいという雰囲気を壊したくないという想いが出てきた後に、強がってしまいます。

強がらなくて良いのに、強がってしまいます。
「ろう者としてかわいそうと思われるのが嫌」という反抗心みたいなものが出てきて、本当は「ねぇねぇ、何の話?」と教えてもらいたいのですが、気をつかわれて特別扱いにされてしまっているのは嫌だなという葛藤が起きます。

でも、今は分からなかったら聞けば良いと少しずつ思うようにしています。


Mau: すみません、今のお話についてなのですが、ちえさんが言われているのは、聴こえる人たちが普通に話をしているときは、ちえさんも話をしている人たちの口を読んだりして、話に加わっていくことができるけれど、盛り上がってくると、ついつい興奮をして早口になってしまって、話の展開を見失ってしまうのだけれど、話の流れを止めたくないので、「ちょっと待って!」「もう一回言ってみて」と言えないということでしょうか?

Chie: もともと、口の動きを読み取るのは相当なエネルギーが要るので、元気なときなら何とかもちます(笑)。
メンバーにもよりますけど、もしまうさん以外で知らない聴こえる人たちがいっぱいいたときは言いにくいかもしれないですね。
でも最近ある人に言われてハッとしたのですが、存在感を示すことができたら状況はきっと変わるのだと思います。
もし私が「聴こえないわたし」としての存在感が周りの中にあったら自然に共通のコミュニケーション方法が見つかると思うのです。
例えば、オバマ大統領が私たちのグループの中に入ってきたらどうしますか?
オバマさんを無視して日本語で話し続けることはできるのでしょうか?
そんな風に考えてみていただけたらと思います。


Mau: なるほど・・・とても良く分かります。先日そういう話を私も友達としました!

Chie: ちょうど同じ時期だったんですね、これも何かのご縁でしょうか^^どんな展開になりましたか?

Mau: 時々、たくさんの人がいる空間にいて笑っていても、ひとりぼっちを感じることがあります。こんなに人がいるのに、自分が誰ともつながっていないと感じるなんて、おかしなことだと感じながら、自分自身がそこへ存在していることも忘れそうになります。

逆に、普段からの信頼関係があるという前提ですが、たくさん話をしなくても、そこに存在して、しゃべらなくてもただただそこで時間を一緒に過ごすことの気持ちよさを共有できる人はいる・・・それはどうことなんだろうね? かなり抽象論ですが、そんな内容だったかと思います。

Chie: 話の内容が分かるかどうかということだけではないんですね。その人たち同士の信頼関係も大きいのでしょうか?

Mau: 話の内容が分からなくても、居心地の良い空間はちょっとした心遣いで作れると思います。
もしかしたら、ちえさんが「特別な気遣い」と思ってらっしゃることも、ちえさんとお友達になりたい人たちにとってはちえさんに対する「愛のメッセージ」のようなものかもしれませんよ。

I care for you という言葉があります。「care」には、気にかける、心配する、気遣う、大切に思う、などの意味があります。
直訳すると「君のことを気遣っているよ、大切に感じているよ」となりますが、“I love you” という意味にも取れるように思いませんか。
ちえさんの通訳やサポートをして下さった方も、ちえさんを「気にかけて」「大切に思っていたから」「接点を持ちたかったから」支援を買ってでたのではないでしょうか。
直接言葉を交わさずとも、「あなたの存在を感じていますよ」というサインを送っていたのではと思うのです。 

Chie: 今までのことを振り返ってみると、聴こえる人たちとの付き合いが多かった学生時代はなかなか「愛のメッセージ」に気がつかなかったですね。
その頃の自分は聴こえる人たちの中に溶け込めない分、気をつかわせてしまっているのかと落ち込んでいました。


Mau: ちえさんの気持ちを全部理解することはできませんが、落ち込む気持ちも分かる気がします。
聴こえても、聴こえなくても、どんなに友達でも、家族でも・・・気を遣う、気持ちを配るというのは、お互いにしたりされたりしているのではないでしょうか。

私個人の話ではありますが、昔から大きなグループの中で、特に初対面の方々で集まってお話をするのは(実は)苦手です。どうも伝わる気がしないのです。きちんと近くにいる人のお話も聴きたいし、伝えたいと思うと私の場合は5、6人がベストナンバーかもしれません。

Chie: 存在感がそれぞれ薄くなってしまいそうな気がするからでしょうか。

Mau: うーん、存在感というよりも、それこそ気配り&目配りが安心してできる距離感というのでしょうか。
「ちゃんと話したい」んですね。せっかく時間を一緒に過ごすのであれば、何が起きた、起きているかという表面的なことよりも、お互いに、あることについてどのように考えているのかということを、きちんと語りあえる人数とでもいいましょうか。

でも、学生時代から20代の初めには、自分の心に嘘をついて、人に合わせたり、分かったふり、楽しいふりをしていました。今振り返ってみると、そんな自分も愛おしいですね。

Chie: 「ふり」は聴こえる人の中にもあるのですね。

Mau: それはありますよ~、ちえさん!

それは聴こえる中にあっても、同じです。全く分からない話題について話が進められている時は、訊ねにくいものです。まして、たび重なると知っているつもりをしてしまうことはあります。
そうすると・・・確かにちえさんが言われているように、その場やそのグループの集まる場所に行きにくくなって、結果的に避けたようになることもあります。

でも、自分の知識や経験が足りなくて、その場に居たいのにいられない(自分の意志や意見を持って存在できない)ときは、その場へ戻ることを目標に努力をすることもあります。自分の意志のあるところ、そしてそれを皆の前で表現できることができ、何かしら残すことができることが私にとって「存在」することなのかな。

そう考えると、沢山の人がいつも私の中に存在してくれていますね。特に一人で旅をしていると、入れ替わり立ち代わり彼らが出てきて、私の判断を助けてくれます。

Chie: その場に居たいのに居られない、これは結果的に自分自身が「その場の価値」を見出しているからこそ努力ができるかもしれないですね。
いろいろな人、沢山の人の判断というのは、「あの人だったらこうするのでは?」と考えて冷静に判断するのと同じでしょうか?

もしそうでありましたら、私自身もそうした行動を意識することはありますね。

学生時代のゼミの飲み会で、最初はみんなが気をつかってくださったけど、次第に盛り上がって早口になっていました。
でも、私はそれが想像できていたことなので「まぁいいかな」と思って眺めていました。

そうしたら、隣の学生が通訳したんですね。
そのときは情報が伝わったからありがとうって思ったんですけど、次第に通訳している学生に申し訳なくて、「私がいなければ、その人はもっと楽しめたんだろうなぁ」って思った経験があります。

実際にその人に謝ったら「そんなことは思っていない」と言ってくれていました。でも、当時の私にとってはその場にいるのが苦しかったですね。

私がいることによってその学生の楽しみを奪ってしまっているのかも、って。

そう思って以来、ゼミの飲み会にはだんだん参加しなくなりました。

今の私だったら、参加して隣の人を引っ張りだして話をしていたと思いますが当時はそういう勇気もなかったです。

こういった経験もあって、気をつかわれていることについては若干抵抗感を持つこともまだあるようです。
最終的には、みなさんが手話で話せるようになったらその悩みは簡単に消えていきますね。


Mau:さきほど、ちえさんが質問をして下さったことに対してまずはお答えします。
普段は、誰が何を言ったか、詳しいことはすぐに忘れてしまってすぐに思い出せないのですが、判断に迷ったとき、初めての場所に行ったり、出会ったりするときに(特に、自分の能力以上の場に出てしまったときですね)私の中に存在してくれている人たちの話し方や笑顔が次から次へと浮かんで、私と共に居てくれるように感じることができます。

話が行きつ戻りつしますが、私が思うに、きっとちえさんのお隣に座っていた方は、通訳が・・・というよりも、ちえさんとも一緒にお話をしたいから、という気持ちだったのではないのかな?とも思いますよ。

かえってゼミにちえさんが来なくなったら・・・私だったら心配しちゃうかも?!
その方とは、その後もお話をされましたか?

Chie: ゼミには行っていました。あのときのゼミは、みなさん手話ができなくて、手話講座をやろうかという話もしていました。
でも、手話をいざ教えようと思うと教えられなくて。何から手をつけたら良いのかな、という感じで、あっという間に年度が変わってしまいました。

たまたま、ゼミのメンバーとは講義が同じだったことがありました。
飲み会で通訳をしていた彼女から、「ノートテイクをやりたい」と申し出があったのです。
講義保障として、講義の内容をノートに要約筆記をする仕事をお願いしました。そこからまたつながりが持てました。


Mau: きっとそうですよ。その方はちえさんとコミュニケーションを持ちたかったんだと思います。それはちえさんが、がんばっている姿(存在)を見ていたからではないでしょうか。
損得を超えて、何か自分ができることをしたいと思わせる人はいます。ちえさんが学校に来なくて、さぼってばかりいて、人にも態度が悪かったら、要約筆記も要らないし(笑)、申し出てももらえないと思います。

Chie: ありがとうございます。そうですね、学生時代に態度の悪いろう学生(聴覚障害学生)もいましたが、その人の周りからは自然に、支援する学生が離れていきました。

元々、大学は学ぶ場(といっても、私も時々さぼっていました^^;)なので、支援する学生の力を借りる以上、勉強するのが当然ですね。

正論で言えば、勉強する為に支援学生の力を借りる、ですね。

それにしても、まうさんのお話を聞いていると、学生時代の私って本当に浅はかな考えだったなと思います。


Mau: いいんですよ~。きっとその時はそれで。今のちえさんも、大学を一度辞めて入りなおした私も、葛藤したから今ここに存在できるんだと思います。
私はもっとちえさんと甘えあいたいですけどね~(怪しい意味ではありませんので、ご心配なく)。

Chie: あはは〜(笑)、ありがとうございます^^ 甘え合いましょう♪まうさんが大学へ入り直したというお話、まだ聞いていなかったですが、今度お聞かせください。

学生時代はいろいろな意味で、自分を見つめる時間が多い分、何を求めているのか時々分からなかったり、変に熱くなっていました。


Mau: 仕方ありません・・・猪突猛進年ですから、私たち。

Chie: 猪さんぶつかってもまた別のところへ行きますよね。壁にぶつかっても前に行けそうな力を感じます。結局は人間力によって生き方も左右するのかもしれないですね。存在感を示すということにおいても、人付き合いをすることにおいても。

Mau: ちえさんが今ここで率直に、素直に話してくだっていること、いつもお会いするとじわじわとしみ出てくる面白さ、ちえさんの静の世界・・・私は魅了されっぱなしです。そしてそれは、どんな人間関係でも必要なことですね。それがお互いを尊敬し合い、その人にしかできない存在を認めることではと考えます。
似ている部分と、違う部分、その両方があるから、また面白いのでしょうね。

Chie: 本当にありがとうございます。まうさんとのお話はいつも、自分を落ち着かせる、ふと立ち止まって考えさせられるきっかけになっていますし、まうさんとのお話をしているともっと行動的になろうという元気をいただけます。逆にエキスを吸いすぎてしまっているかしら〜と思うときがありますが(笑)でも、本当にありがとうございます。こうしてお話ができることは、それぞれの経験の積み重ねの結果なのかもしれないですね。

例えば学生時代に出会っていたらブログを第17回まで続けることはできなかったかも?とは思います。


Mau: ちえさん、何のエキスを吸ってるんですか~!!

Chie: あはは(笑)まうさんのパワーを吸い取っております(笑)。

Mau: そういえば、10代の頃「作家」になりたかったのですが、机に毎晩向かっても何も書けず・・・。
ある日、「あ、あたしまだネタがないんだ!」ってことに気づいたときの嬉しさったらありませんでした。
面白おかしく、いっぱい失敗を重ねていくことをしていかなきゃ、私らしい文章は書けないんだって心底思えた瞬間でした。周りにいてくれる人は貴重な証人です。

Chie: なるほど!答えは近いところにあったのですね。今だから、ブログ第17回もあっという間に進められたと思います。

Mau: 本当にそうですね。
時間をやりくりしつつ、お互いに心を配りながらのブログ更新は大変な作業でしたが、滞る週はありませんでしたものね。
一人だったら続けられなかったと思います。まだどこへ行き着くのか分かりませんが、これからもよろしくお願いしま~す♪

Chie: 本当にありがとうございます。一人旅にはない魅力な旅もありますので今後ともよろしくお願いいたします♪

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皆さんからの「声」、お待ちしています。

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by machi-life | 2009-06-19 11:24 | mau+chie life

第17回(2009.06.14) “ろう者に憧れる聴者 ”

聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
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Mau: 先週末には、私の主宰する教室の2周年記念イベントにお越しいただき、ミニ・手話レッスンをしていただきありがとうございました。

昨年、教室が1周年を迎えた際に、日頃からお世話になっているお客様、友達、家族に感謝の気持ちを伝えることのできる、みんなの心に残る「何か」を行いたいと漠然と数ヶ月前から考えていました。

初めに頭に浮かんだのは、私自身が起業をして感じた「経営することの難しさ&心細さ」を他に自営で仕事を行っている人も感じているのではないか?という思いでした。それと同時に、会社員時代には満たされることのなかった充実感や日々丁寧に仕事を行うことのできる喜びを含めて、さまざまな事をざっくばらんに話し合える、競争し合うのではなく共存できる関係作りを分かち合える機会を作れないか、と考えたところから構想はスタートしました。

ですから、最初は、自営をされている方、これからしたいと思っている方々を中心に声をかけさせていただきました。こうして、何も無いところ、あえて言えば熱意だけで始まった企画でしたが、予想以上にスムーズに形ができあがっていきました。これは少なからず同じように考えている人がいらっしゃったことが大きいです。もちろん打ち合わせを何度も重ねているのですが、普段のお互いの人や仕事に対する接し方、考え方を見ているからこそ、共有することのできる、言葉以外のものにも助けられました。

この方たちと、みなさんが「素敵なハプニング」を生み出す空間を周年イベントとして、プレゼントすることのできる、二日間だけのちいさな「お店やさんたち(商店街)」を作ることにしました。

これが昨年大好評で、二日間で約180人の方に足を運んでいただきました。
今年は更に、深みを増したお店同士の関係も生まれて、皆さんに喜んでいただきました。

ちえさんが所属されている「手話レクチャーハンズ」さんにも昨年に続いて参加をしていただきました。
二日間共に参加していただきましたが、両日とも異なるアプローチになりましたね。

講師としていらしたちえさん、そして I さんも、手話やろう者に接するのは初めての人たちの前でのレッスンは緊張されたと思います。

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Chie:お誘いをありがとうございました。日頃お世話になっているまうさんのイベントで、地域に密着したイベントはどういうスタイルなのか、どういう雰囲気なのか、参加させていただく立場で、学べたらと思っていました。
私も参加させていただいていましたが、まさに商店街でしたね。

当日は、クイズをしたり、手話伝言ゲームをしたり、手話に親しむ活動を中心に行いました。
今回初めて、Iさんとペアを組んで教えてみましたが、一人でやることとペアで教えることはかなり違うと実感しました。

Iさんは一通りに教えた後、相手の言いたいことを引き出すタイプに近く、私は、相手の言いたいことを中心に進めていくタイプです。 ペアだからこそ生み出せる物は何なのかという点まで考えられなかったことが一番大きな反省点ですね。

一人でやれることとペアでできることは違って当然だと思います。それなのにできていなかったことは本当はすごく悔しい体験でした。

どちらかというと、Iさんは優しい方ですので私のスタイルに何とか合わせてくれようとしていました。
申し訳なかったです。

ハンズとしては、地域の方々に手話を広める取り組みを行っていることから一人でも多くの方に「手話」を目にする機会を増やすということが目的でした。もう少し強いて言えば、手話を目にすることを通して、手話に触れてもらうという道のりを作ることが今回の目的でした。

以前まうさんと、手話だけを指導するのではなく、まうさんとのこうした対談の積み重ねによって、聴こえないこと、聴こえない人ってどんな人?といった素朴な疑問にも答えられたら良いねという話をしました。

そこで、クイズを出すことによって、日頃の生活で「聴こえない人はどうしているのか?」「手話って世界共通?」ということを考えていただけたらと思っていました。
講義スタイルではなく、和やかな雰囲気のイベントですので難しい説明はせず、ただ、素直に「どうしてかな?」といった疑問を持たせたら・・・と考えていました。
でも、みなさん、意外と「世界共通ではない」と答えていらっしゃったのでちょっと思考停止してしまいました(笑)。

通訳を介して解説したら良かったのかもしれないですが、みなさんに疑問を持たせながら手話を目の当たりにしていただけたらより興味を持つことにつながるのではと思っていました。


Mau:二日目は、IさんとスタッフのHさんでの登場になりました。お聞きになっていると思いますが、その日は「手話」そのものよりも「聴こえない世界」について話題が集中しました。

あの時間、初めて「聴こえない生活」に思いを馳せた人は多かったと思います。
普段の生活の中で、「聴こえない」ことを想像することは全く無い中で、Iさんと会場との質疑応答のキャッチボールは、必ずしもお互いが求めているものではありませんでした。

聴こえる人は、「ろう者は聴こえないことで、困っている」ということを前提にした質問が多く出たように感じましたが、Iさんは、「いえ、個人的に困ることはありますが、それは人それぞれなので、ろう者だからと言って特別困っているわけではありません」。そうIさんが言ったときの会場は、少し拍子抜けしたように思えました。このときの空気に、今のろう者と聴者の価値観や距離の違いを垣間見た気がしました。

Chie:Iさんの「聴こえないこと」についての考え方によるものは大きいと思います。
ろう者といっても、十人十色ですし、困っていると言えば困っていることはあります。
でも、あえて「自分は困っていない」と言い聞かせることによって生きている人もいます。
そうしないと耐えられなくなるからですね。

分からないことを常に追求する、追求すればいいかもしれないですが、目の前で声だけで話されていて「分からないから教えてほしい」と言い続けることはエネルギーが要ります。
分かったフリをすることで自分を封じ込む。困っている自分を見せることなく、気を使われることもなく、といった感じだと思います。

Iさんとしては、聴こえない立場というよりも、「Iさん自身」の立場で答えただけにすぎなかったでしょう。
もし、聴こえない立場として話してほしいと言われたら見方を変えて答えることはできていたかもしれないですね。

聴こえる側としては、「できない」「困っている」という負の側面を観がちですが、それは当たり前のことだと思います。
全盲の人に会うと、私も「見えないって何だろう?怖いかも?」と障害の方に目を向けます。
経験を積めば、「人それぞれだからいいんじゃない?」と思える側面もでてきますけど、負の側面については、「そこまで知る必要はないんじゃないかな」のと、「いや、知っておいた方が良い」という、当事者としての想いが揺れてしまうときがあります。

ハンズとしては、あくまでも手話を広めることを前提にしているため、聴こえないことがどういうことなのかについて話すことは、相手が求めていれば答えるようにしています。
聴こえないことと手話は関係しているものですが、聴こえる側からにしてみれば、「手話」と「聴こえないこと」は別物と捉える方もいらっしゃると思います。

通訳を介したことにより、1日目よりはろう者の方から情報を提供することができたと思います。
ただ、通訳を介してというより、最終的には手話を通してお互いに情報を提供し合うことがハンズとしての理想、ろう者としての理想でもありますので通訳を使うことには積極的になれずにいました。
でも結果的に、少しでもみなさんにとって情報提供できたのであればそれはそれで良かったと思います。


Mau:なるほど、そういうことだったんですね。
私自身も、今回のちえさんの意図を捉え違えていたようです。
二日間イベントに参加していただいた方も多くいらっしゃいましたが、その方たちには2つの違った手話に対するアプローチを体験することのできる機会になったと思います。

今後私たちが共催イベントを開催するとしたら、どんなことをしてみたいですか?

Chie:手話の他にホワートボード、パワーポイント、パソコン、ITを使いながら対談することはできそうですね。
2時間の企画で、たぶんあっという間に終わるのではないでしょうか?

お互いに一つのテーマについて対談しながら、フロアの意見を聞いてみたり。合間に手話の体験として、手話を覚えていただく。そして、英語と結びつけてアメリカ手話を教えるということもできると思います。
(簡単な自己紹介程度でしたら、アメリカ手話は分かります)。

まうさんと私のやり取りを観て、聴こえる方、聴こえない方が「ちぐはぐしたやり取りから、どうやって意思疎通できるようになるか」というプロセスを楽しみながら(?)観ていただくことも新鮮な取り組みではないでしょうか?

フロアからのサポートは「なし」として、まうさんと私の二人がどこまで通じ合うかをだまって見守ってもらうような空間。それが、通訳を使わなくてもコミュニケーションが出来ることの証明につながるのではないでしょうか?

音声言語の通訳については、まだ勉強不足なので容易には言えませんが、手話通訳に限っての話について、通訳を介するとなぜか、その人の話の意図がうまくつかめずにいます。
また、こちらの意図が確実に伝わっているのかいつもおろおろします。

例えば、ビジネスや緊急の時は通訳を介しても問題はないですが、プロであることが前提条件になりますね。

このように、通訳を使う(言い方を変えれば通訳を頼る)ことをあえて外しておいて、お互いがコミュニケーションをとれるようにするためにはどのようにする?ということを示すことが、聴こえない子どもたち、聴こえる子どもたち、大人の方々も参考になっていただけるかなと思います。

まうさんとしては、いかがでしょうか?


Mau:いいアイデアだと思います。ちえさんの案が第一部としたら、第二部は参加して下さる皆さんをまじえて、ときどき通訳の助けもかりながら、このブログで話し合っているような場を作れたら面白そうですね。まずはとことん話をしてみる・・・そんな時間もちえさんと作れそうです。
また、「公開ブログ」のような形も試してみたいですね。

Chie:学生時代に「ろう者になりたい」、「ろう者の輪の中に入りたい」という聴者がいました。

最初は珍しいなという程度でしたが、そのうちに、「聴こえないから通訳が必要」、「同じ空間に聴こえない人がいるときは手話を使うべき」、「手話ができない人よりも手話ができる自分の方が良い」といった姿勢、言い方が目立つようになりました。

ろう者として、(聴者が)そこまで言えるのはすごいなと思う一方、ろう者のことを分かったつもりになられても困ると思っていました。

あるとき、手話サークルの運営だったかで、そのひとと意見が対立した時、「ろう者になりたいのなら、耳を刺して聴こえなくなるようにしたら良い」という発言をしてしまいました。

今はさすがにそんなことは言えないですし、そう思わなくなりましたが、ろう者のことを分かったつもりになられるとあまりいい気分でないことは今でも同じです。「私の何を知っているというんだ?」という感じですね(笑)。

学生時代に数十人のろう学生(聴覚障害学生)がいましたが、人付き合いは本当に十人十色でした。ろう者の中に入りたがる聴者を招き入れてご飯をともにする人もいましたし、私みたいに聴こえる聴こえないは関係なく、話ができる人と話をしたりしていました。

もしかしたら、大学の中だけで起こりうる現象だったり・・・?
学生だからのんびりやるというか、嫌でも自分を見つめる時期があるからだと思いますが、その辺りはどうでしょうか。


Mau: 一途に物事を考える時期はあります。学生時代だけではなく今も同じようにそういう季節は巡ってきますね。いろいろなHello&Good-byeをくり返して、私自身、日々変わっていくように感じています。

ということは、他の人も変化しているということになるわけですから、「今日」の友達の形は「明日」変わるかもしれない・・・でもそれもまたありなのだと納得しています。そう思えない出来事もあったりしますが、心では分かっているつもりです。
明らかに学生の頃とは違うのは、無理をして友達を作ろうとしなくなったことでしょうか。
年を重ねるうちに、私がどんなにマイナーチェンジを重ねても、側にいてくれる、楽に居られる自由な友人が増えました。それはきっと若い時分に、あーでもないこーでもないと一生懸命もがいた経験があるからだと思っています。きっと今のちえさんにも、学生時の葛藤は生きていると思います。

ちえさんの先ほどのお話にあった、いわゆる、「ろう者に憧れる聴者」はどうして出てくるのでしょう?

Chie:自分に自身がない。
ろう者独特の雰囲気があり、そこに馴染めない。
ろう者同士は家族みたいなイメージ。

私が今まで出会った聴者の中で、ろう者ってうらやましいと言う人は上記のことを言っていました。

私から見れば、「ろう者独特の雰囲気があること」は手話が使えてコミュニケーションができる者同士の集まりだから、手話が使えない側から見ると当たり前の印象かもしれないですね。
でも、ろう者だからそういう雰囲気と決めつけるのは少し早い気がします。
ろう者に限らず、手話が堪能な聴者であれば、馴染めます。
卒業旅行でろう者4人、聴者2人のメンバーで行きましたが、全員同じ空間を楽しんでいましたし、聴者からも「人生最高の想い出」と言っていました。

徹底的に手話ができればクリアできることだと私は思っています。

「家族みたいなイメージ」
これは、ろう者同士が出会うと「あの人知っているよね?」という話題がよく出てきます。
聾学校の数が少ないこと、ろう者の数が聴者より少ないことによって人と人のつながりはみえないところでつながっています。
「あの聾学校の先輩知っている?」と一つの地域のような、話題に出ることはあります。
でも、信頼関係があるかといったら別になります。ろう者だから仲がいいということはまず、ありえませんね。
日本人同士だから仲がいいということはない、のと同じですね。

そこを勘違いして、ろう者同士は家族みたいというイメージを持つ聴者がいます。たまたま、私の周りにはそういう聴者が寄ってきただけかもしれないですね(笑)

最後に、逆に、「聴者になりたいろう者」というテーマだったらもっと盛り上がるかもしれないですね。
私自身も、聴者になりたいと憧れていた時期がありました。
今でも「聴こえるようになったらいいな」と妄想にふけるときはあります。もし聴こえていたら私はどんな人生を歩み、何を考え、誰と出会っていたのだろう?という風に。
聴者に憧れる想いは、聴こえるという聴力レベルによるものが私にとっては大きいですね。

「聞き忘れた」とか「今の音は聞いてなかった」という聴者と話をする度に「もっと耳を活用せよ!」と言いたくなります(笑)。
でも、それは目が見えない方に「もっと目を活用せよ!」と言われるのと同じになりますね。
ついつい、人間は与えられた機能を当たり前のように受け止め、最大限に使えるところまで使っていくことが案外難しいのかもしれないですね。

長くなりました。Mauさんからのお話も聞きたかったです♪


Mau:あいたたた。 この話題については、続きのお話が必要な気がしますよ。
もう少しゆっくり私なりにも考えてみますね。

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

みなさまのご意見もお聞かせください。

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by machi-life | 2009-06-14 23:57 | mau+chie life

第16回(2009.06.06) “デフムービー”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Chie: こんにちは、週末の長野県はいかがでしたでしょうか?

Mau: ありがとうございます、気分転換になりました、まさに心の洗濯でした。
松本市から特急で名古屋まで2時間ちょっとなんですね。

Chie: 心の洗濯!本当に良かったです。
松本市からだったら、近いですね。名古屋まで行かれましたか?


Mau: そこまでの時間はありませんでした~残念です。
新潟から名古屋へは、バスが良さそうですね。

Chie: バスでしたら7時間はかかると思います。特急でしたら、新潟〜金沢〜長野〜松本〜名古屋、という順で、もっと時間かかりますね。松本市へは車ですか?

Mau: はい車で行きました。善光寺経由でゆっくり行ったので10時間ぐらいかかってますね。
松本では大学の時の、友達二人と会いましたが、その内の一人とはかれこれ17年ぶり??でした。
恐ろしく年月が流れていうますね。

二人は海外の映画をコーディネイトする仕事と石器の図面を書く仕事という面白い仕事に就いています。
そういう仕事もあるんだな~と目から鱗が落ちました。
あちらからしてみたら、大学を中退した私が英語を教えてるのもびっくりだと思いますが。

Chie: 大学中退されたんですか?初耳です(笑)

芸術はおもしろそうですね!映画関係とはどのような仕事でしょうか?石器の図面も気になりますね。


Mau: 一度目の大学の話ですね。これはまた後ほどお話しますね。
映画の仕事をしている友人は、菊池凛子さんの映画にも関わっていて、先日カンヌ映画祭へ行ってきたそうです♪ 

Chie: すごい!!憧れますね!!

本当に興味深い出会いをされて、とても良い思い出になったんですね。
菊池凛子さんといえば、「バベル」ですね。 そういえば、まうさんは「バベル」を観たことありますか?


Mau: スペイン語版のDVDをメキシコで買ったので、どこかにあると思うのですが・・・観ないままになっています。ちえさんの好きな映画ですか?今度、真剣に探してみます。

Chie: 不思議な映画の一つになっています。手話、ろう者が主人公の日本舞台、そして人種差別がテーマのメキシコ、貧しい生活の中で生きる一つの家族を映したモロッコ、3つの国々の舞台が「バベル」の映画を成り立たせている、不思議な映画です。

当時、日本国内ではろう者たちが「ろう者のイメージが悪くなるから上映をやめてほしい」という反対の声と、「ハリウッド映画なのに、字幕がつかないなんておかしい」と日本語字幕付けにアクションを起こした話を聞きました。
ぜひDVD見てみてください。


Mau: どこかに問題になるシーンがあって、「ろう者のイメージが悪くなる」という声が上がったんですか?

Chie: 菊池さんが演じたろう者は、男性を誘惑するような挑発を連発していました。

私から見れば、ハリウッド映画なら当たり前だし、シャロンストーン主演の「氷の微笑」と似ているからあまり気にならなかったです。国内のドラマでは「ろう者はかわいそう」という、泣く役が多かった為、 返って、かわいそうなイメージを払拭できるんじゃないかと思っていました。でも菊池さんが演じたことによって「ろう者は軽い女」というイメージを持たれるのは不愉快、という意見があったみたいです。


Mau: そんな!ある映画で演じられている日本人のろう者役がそうだったからといって、ろう者の女性が全て軽いと信じてしまう人がどのくらいいるというのでしょう。うーん、いろんな見方がありますね。

他にも、ろう者が出ている、または中心になって作られている映画はありますか?ろう者の監督とか?

Chie: ドキュメンタリー映画もあります。私が知っている人の中には、ろう者と難聴者の学生生活のドキュメンタリーを製作した今村彩子さんという方がいます。

彼女はアメリカへ留学した後、いくつかのドキュメンタリーを作っており、
ハンズの事務所にも1枚のDVDがあります。


Mau: わあ、それは初耳です。どんなドキュメンタリーか興味がありますね。

Chie:今村彩子さんは確か、2つか3つ年上です。 アメリカ手話の講師としてやっていた時期もありました。 大学生活を知るには参考になるDVDです。講義保障や普段の食事やスポーツをしている場面もあります。

他には、PRODIAというのがあります。これは私もよく知らないのですが、「迂路」は評判になっていました。

新潟出身で韓国の大学院に留学しているろう者がいるのですが、彼女が関わりを持っている韓国のろう者チームがあります。

http://www.prodia.jp/deafmedia.html

映画好きの聴こえない人は多いですね。
視覚的に楽しめるからだと思いますが、聴こえる人の中にも映画を娯楽として楽しむ人は多いですよね

また、アメリカには世界で初めてろう者が集う総合大学(ギャローデット大学)ではこのような大きなイベントも行われていると留学生から聞いたことがあります。学長さんが、聴者(または、ろう者の意見を聞かない難聴者)であることが決まったとき、学内でデモを起こしたという話は、手話の世界では有名になっています。
一つの場に集うと大きなパワーになるのと同じように、国際ろう映画祭も関係者が集まって盛大に行われるのかもしれないですね。


Mau: ひゃあ・・・驚きです。存在しているのに今まで知らなかった世界の扉に気づいた気持ちです。
”デフ・ムービー”。 これから海外に行くときや海外の人と関わるときのアンテナが増えました。ありがとうございます。

Chie: ちなみに韓国には、ろう者が運営しているカフェもあります。

運営主体や細かいことまではまだ情報不足で分からないですけど、そのカフェにはなぜか、メニューに3通りの金額が載っていて聴こえない人、支援をする人、聴こえる人という3通りに分かれて金額が多少異なっていました。なぜ分ける必要があるのかという点においては、韓国手話と韓国語が未発達の私にとって心の中に留めておくしかできず


Mau: ちえさんが実際に行かれたカフェなんですね!日本にもあるようですがhttp://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/ps80118a.htm
こういった感じとは違うのでしょうね。

そこはろう者の方が中心になって運営されているようですね。

Chie: 大阪にもありますね、行ったことはないですが少し雰囲気が異なりますね。韓国のカフェではDVDを大画面で楽しめるようなスペースもありました。ろう者のスタッフが多かったですが、もしかしたら会社を運営すること自体は聴こえる人が中心になっている可能性もありますし、その辺りについてはまだ分からないです。

Mau: 現在はどうでしょう?ちえさんはこういったカフェの運営には興味はありますか?

Chie:ベトナムでは知的障害を持っている就業員を雇っているカフェがありました(ホーチミン市、日本人の女性が起業)。パリにも、ろう者のカフェを開いたというニュースを聞いたことがありますので興味はあります。

東京もバーはあったのですが、今は閉鎖(?)になっていると思います。


Mau: いろいろと調べられたり、行かれたりしていますね。
ろう者の店員がいる・・・というよりも手話のできるスタッフがいるところに、居心地の良さを感じますか?

Chie: つながりがつながりを呼んだようなものですね。最初からカフェに興味を持ったわけではなかったですが、いつの間にか情報が入ってきたりした感じです。ただ、どれも半端な情報なので、調べなきゃ〜と思っています。

手話のできるスタッフがいるところは居心地が良いです。スタバに手話が少しだけできるスタッフがいたのですが、注文しやすいだけでなく、安心感があります。
向こうはこちらが聴こえないことを知っている、ということから来る安心感なのかな・・・。


Mau: そうですよね、たとえ「いらっしゃいませ」「寒いですね?」など簡単な手話でもできて、会話ができると安心・・・居心地はぐっと良くなりますね。

Chie: そうですね。高度なレベルは求めていないですし、普通に「今日はこの珈琲が良いですよ」といった会話ができたらもっといいですね。

Mau: 私も商店街の中で手話を使えるお店があったら!という気持ちもあって、月に2回、教室で手話レッスンをしてもらっていますが、なかなか広めるのは難しいです。

Chie: どういう風に難しそうですか?

Mau: 手話レッスンを始める前に、商店街の方々にチラシを配って歩きました。
予想していたことですが、ほとんどの方は、「うち、ろう者の人は来ないから!」と言って相手にしてくれませんでした。

「全く聴こえていない人は、補聴器はしていないので、外見ではわからないんです」というお話もしてみましたが。

そんな中で、いくつか興味を持ってくださるお店もありました。
残念ながら、商店街でお店を構えていらっしゃる方々は、ほぼ一人又は二人という体制で商売をされているので、日中出かけてまで手話を習うことは難しい・・・ということでした。

でもどうにか皆さんの中に入っていけないかな~って密かに策を練っています。

Chie: 聴こえない人は、聴こえるフリをするので気がつかない店員さんが多いのも真実ですね。

Mau: 聴こえる「ふり」ですか?

Chie: 聴こえるフリをすることで、迷惑をかけず、面倒なことも起こさず、というようにスーッと立ち去るということです。

Mau: 分かる気がします。

Chie: そうすれば、外見だけでは本当に分からないです。
全ての人に対しては難しく、時間がないときは筆談で済ませることがあります。
聴こえない人が聴こえるフリをやめたら、手話は急遽広がっていくかもしれないですね。


Mau: やってみますか??
余談ですが、聴こえる人も、聴こえないふりをしまけどね~(笑)。

聴こえない人が、聴こえる人たちに合わせて生活をしていると感じることはありますか?

Chie: 聴こえる人も聴こえないフリをするんですね、それは「そんな話は聞いとらんぞ~」と言うときにでしょうか?

聴こえない人が、聴こえる人たちに合わせて生活をしていると感じることはあります。
愛想笑いが一番分かりやすいと思います。


Mau: 聴こえる人も聴こえないフリをする時は、大抵都合の悪い話をされた時です。
聴かなかったことにしてしまうんです。

Chie: 聴かなかったことにする、それは聴こえない人も共通することで結局は人間の身勝手ということになると思います。

私自身も身勝手だと思います。聴こえる人のグループに聴こえない人が1人だけ入った時、聴こえる人たちが笑い合います。

話題はテレビの話だったり、旅行の話。
早口で、笑うときは手を覆う。
口の形の読み取りすらできない状況になります。

そして聴こえる人たちが「~だよね」とこちらに目を合わせるとその場で「いや、何のことか分からなかったらもう一度教えて」と言えるかどうか。

その回数が多ければ多いほど、聴こえる人たちの気分を害するわけにはいかないということから、 愛想笑いをして何とかその場をしのぐ。
私が時々、目をそらしたりするのは、愛想笑いする状況を作らないようにしているからです。

それは自分の為なのですが、聴こえる人たちと一緒に過ごすことは苦痛ですが、楽しい時間でもあります。
難しいですね。


Mau: 視線を逸らするのは  あえて「いまは聴いてないよ」というシグナルを送るということでしょうか?

Chie: そうですね。聴いていないことを示すことによって会話の輪から外れているということを知らせておくようなものです。
でもそういう行動に、「あの人は人の話をちゃんと聞いていない」という誤解も生じます。

聴いているフリをして分からないまま過ごすのと、思い切ってその場の雰囲気を壊してもいいから聞き出すのと、最初から聴いていないよというシグナルを送ることで自分を守る・・・いろいろ試している感じです。


Mau: それでいいんじゃないかな~。

変てこな言い方ですが、聴こえていても目の前にいる人が何を言っているのかさっぱり分からない、聴こえてこないときはあります。でも与えられた時間を過ごさなければいけないときには、私も流してしまいますし、自然と視線は逸れます。

時には、かなり興味深い話なのだけれど、内容が分からない。けれどどうしても知りたいなら、周りのひんしゅくを覚悟で聞くこともありますし、最初から聞いてませーんシグナルを送る相手も・・・?たまーにいますね。

昔は、「なんてひどいやつだ!」と自分を責めたこともありますが、力は入れたり引っ込めたり上手に使わないと。

本当に「聴きたい」ときや「話したい」ときには、お互いにどうにかするんだと思ってます。

Chie: ありがとうございます。まうさんのお話を聞いて何だか安心というか、ホッとしました。
このように聴こえる立場にあるまうさんからの話、とても参考になります。


確かに、本当にお互いに「聴きたい」「話したい」ときは何としてでも通じ合いたいと工夫をしますね。

Mau: 「愛」ですね うふ。

Chie: なるほど!シンプルな言葉ですが、重みがありますね。

力は入れたり引っ込めたり、、、何でもがんばりすぎるのが一番いけないですね。


♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Studio AYA
http://www.rouinc.com/studioaya/

映画 「バベル」

PRODIA デフムービーエンターテインメント・プロディア
http://www.prodia.jp/
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by machi-life | 2009-06-05 23:08 | mau+chie life