聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
by machi-life
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カテゴリ:mau+chie life( 50 )

第20回 (2009.7.03) “ ろう者の大学生活 ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

聴こえない人にとって・手話によるコミュニケーション・音声言語によるコミュニケーション

Chie:聴こえない人は手話によるコミュニケーションは可能であっても、音声日本語による会話ができないこと(書き言葉でも文章力がないことによって十分な意思疎通が困難)によって仕事ができないと思われるケースをよく聞きます。

例えば、仕事中に聴こえる人たちが声だけで会話をしたとき、仕事に関する情報があったとします。でも聴こえない人はその会話の中身が分からないだけでなく、会話していること自体気がつかないときもあります。

そこでいつの間にか、話が決まっていたら聴こえない人の立場はなくなりますよね。

そういった現状を聞いたことはありますし、聾学校の同級生も「日本語がうまく書けないから誤解されてしまう」と悩んでいました。

聴こえない私は小説やエッセイ、雑誌等を読み、インターネット、新聞で日本語に触れていますが、自分の言葉として意思表示ができる言葉が見つからないときもあります。


(前回19回のブログ参照新聞にある聴覚障害者の誤用例文、 「作成した 直る お願いします」。

手話の単語だけを見たら語順の間違いはないです。だからといって手話に助詞の役割がないのかといったら、間違いです。

手の動き以外に、動いている部分が助詞の役割を果たしています。表情ではなく、手話は空間と顔の動かし方、手話言語学でいえば、非手指動作を使って区別しています。


日本語は助詞を使って区別しますね。

・ 彼は彼女に渡した。

・ 彼に彼女が本を渡した。

・ 彼が彼女に本を渡した。

手話なら空間の使用によって意味が変わってきます。


Mau:日本語と手話。改めて別の言語であることがわかりましたが、手話と日本語が入り混じって頭の中は忙しそうですね。

Chie:手話だったら表せる、でも日本語だと自分の頭の中には言葉がない、という人もいます。

例えば、「あの人とは仕事はできるけど、プライベートではあまり話したくないかな。嫌いってわけではないけど。」ということについて、手話でしたら非手指動作(手と指以外の動き)等の文法で、ニュアンスが伝わります。

しかし、「〜わけではない」、「〜かな」という微妙な意思表示について表現できる日本語を持ち合わせていない時、「嫌い」の単語だけで終わるときがあります。本人はそこまで「嫌い」というつもりではなくても、その気持ちにフィットする単語が見つからない故、1つだけになってしまう。
 

同級生の中に、明るくていつも元気な彼女がいました、でも会社に入ってからは「昼休みは毎日一人で食べている」と聞きました。

理由を聞いてみると、聴こえる人ばかりだからどうやって話せば良いのか分からないとのこと。

周りの人から見れば、一人で食べている様子からにして、あの人は心が狭いとか、つまらないとか誤解しやすくなりますね。

手話があるから、自分の言いたいことが言える。日本語ができなくて困っているアメリカ人が、同じアメリカ人とバッタリ会って英語でしゃべるのと同じだと思います。


日本語の概念について

Chie: 聾学校の教育方法は口の形を見ることから始めます。

話されていることは分からないですが、口の形は少しずつ分かります(それでも分からない人もいますが)。

しかし一方で、口の形に集中するため、概念が育たなくなります。


読み取れたのは良いけど、そこから日本語として意味を理解する作業に入らないとついていけなくなりますね。 概念は、私にとってはすごく曖昧だったように思います。
家に帰って母に「これはどういう意味(の言葉)?」と聞いていたように思います。

コミュニケーションはできても、日本語の文章が書けない同級生がいました。
卒業文集を作るときに、彼が手話でやっていたのを読み取って、私が日本語に変えて書きました(何度も、私が書いた日本語を手話に変えて彼に確認していました。「違う!」とはっきり言ってくれたので、助かっていました。)


漢字の概念も同じで、漫画の中に 「敵」という言葉が出てきたのですが、意味がつかめなかったんですね。絵を見ても、どういうこと?とチンプンカンプンです。
絵だけでは自信がなかったのです。「あまり仲が良くないという意味なのかしら?」という程度でした。

中学2年生か3年生の頃、映画を見て「敵」の意味が分かりました。
「あ!この人とあの人は敵なのだ!」と映像を通して理解できました。

例えば 「おす」にしても、いろいろな意味がありますね。はんこを押す。ドアを押すとか。
文字を見るだけしか情報が入らないとしたら、知っている単度だけの範囲になりますね。手話による解説があるとと「おす」はどの「おす」か、理解ができます。文字を見て、すぐに手話と結びつけるためには、文字を見るだけでは難しいと思います。


もし小さいときに日本語を覚える前に手話を覚えたていたら日本語はどうなっていたかは、想像ができないですね。 手話を先に覚えていたら、日本語の単語はもっとたくさんあったかもしれないですし、その辺りは分からないです。

手話で概念を育てた後、日本語の概念を身につけることはたぶんできると思うのですが、具体的にどうやって?といった方法はまだ分からないです。聾学校の先生の中には答えを持っている人もいると思います。


手話は介護? 
Mau:ブログをたくさんの人に見ていただきたいという気持ちで、現在このサイトは「生涯教育」と「手話・点字」というブログランキングに登録しています。
そのサイトでは、「手話」は、「介護」のひとつとして位置づけされていて、Chieさんたちが現在「手話を言語」として認識してもらおうと奮闘しているのに対して、「手話=介護」という現状の認識に現実と目標の壁を感じました。

Chie: 手話は聴こえない人が使うもの。だから聴こえないことは障害者であるということ。
民族の少数派とかではなく障害者 障害者=かわいそう 障害者=助けないと!という存在です。



日本の福祉大学の現状「聴覚障害学生支援」とは?
Chie:全国的に見て、私が在籍していた大学はノートテイクという聴覚障害学生支援が活発でした。
先生が話している内容をルーズリーフに、例えば「こんにちは、今日は天気がいいですね!」と書きます。
たまたま、人材不足により、同じ講義を受けている学生に頼まざるを得なかったのですが、書いてもらっていました。

聴こえないことによって授業の内容が理解できない時、聴覚障害学生に適切な支援を行うことが、現段階の講義保障です。


Mau: この講義保障は、聴覚障害を持つ学生と所属する大学との取り決めなのでしょうか。
また、このサービスは大学が斡旋してくれるのでしょうか?それとも自分で探さなくてはいけませんか?

ボランティアをしている学生さん自身も、その講義を受講している方なのか、あくまでも「仕事」としてその時間はノートテークのために来られるのか教えていただけますか(実際のところは後者でないと難しそうですが)。

Chie: ほとんど、大学の中で決められていきますが、現場は学生任せが目立ちます。
分かりやすい授業は、聴こえる人の為にもなると思うのですが。。。

福祉大学はボランティアをしている学生に対してあまり適切な整備があるとは言えません。というのは、講義のノートテイク担当が、ほとんどその受講生なのです(現在は変わったかもしれないですが、私が在籍していたころはそうでした)。

ですから、ノートテイクをしていただいた紙はノートテイクをした学生の学習保障として後からコピーを渡していました。

しかし、この体制は本来は望ましくないことです。なぜなら、同じ講義を受けている学生がノートテイクをすることは、学ぶ権利がなくなるのと同じです。人材不足のためそうならざるを得ないといった状況です。


この大学は昔から障害学生を受け入れていました。そういった歴史から、私が入学した頃は1年生から4年生まで、50名の聴覚障害学生がいました。この在籍率は日本一です。

しかし、日本一だからこそ、問題もあります。
基本的に、講義1コマつきノートテイクが必要であれば、最低2名の支援学生が必要です。

もし一週間に10コマ受けるとしたら、20名必要になりますね。それをもし、自分で探してコーディネートするとしたら、可能な数字なのでしょうか。

幸い、私の大学は障害学生支援センターがあり、相談に応じてくださるスタッフもいましたので何とか間に合っていました。


Mau:先生はろう者や難聴者がいる授業の時は普段よりゆっくりしゃべってくれますか?

Chie:ほとんどはそこまでの配慮は難しいですね。ノートテイクがあるから安心という方もいれば、もともと話をゆっくり90分間話すことは難しいことということで、スタイルを変えない先生もいらっしゃいます。

Mau:お話をお聞きしていると、ろうや難聴の学生が大学で自力で授業を受けることは難しそうです。

誰かに助けてもらう状況は卒業まで続きそうです。こういった現状は、大学からの未来を見据えた優しさなのでしょうか?

Chie:これについては微妙なところですね。社会の厳しさを大学時代に慣れさせることが目的であっても、実際には同じ仲間たちが集うことによってアイデンティティを確立、精神的な自立を目指している場になっています。

大学から学生への奨励金はありますが、1年間に多く活動しても、2〜4万円しかもらえない状態です(最近の動向は分かりませんが)。一方、聴覚障害学生でありながら、聴こえないことを隠す人もいました。支援を受けたくない人が半分くらいいましたね。

理由としては、恥ずかしい、特別扱いされたくないという想いや、聴こえないことについてあまり深く考えていなかったり、分からないことが分からなくて当たり前だったりします。


そんな中で、大学生活を通して変化していった友人もいました。
高校生活までずっと、わからないことが分からなくて当たり前でした。でも手話を覚えた今は自分に自信が出た、と語る友人が何人かいました。

そういう意味で、福祉大学はボランティア精神が強い分、聴覚障害学生がどこまで自立できるかが問われる場かもしれないです。厳しいかもしれないですね。


ボランティア精神が強いと、力関係が生じます。
助けてあげるよ 助けてもらうといった力関係です。


Chie: 例えばノートテイクの字が汚いからもっときれいに書いてほしいと要望したくても、助けてもらっている立場であることから、遠慮していました。

「お金払ってもらっているから、仕事だよ」という想いと「でも奨励金が少ないから悪いかな」という意見がぶつかりやすいです。

要望するともうかしたらもう支援をしてくれないかもしれない・・・と思って言えなかった。障害を持つ人のほとんどが思っていると思います。


Mau:ああ・・・。そうならざるを得ない状況ですね。

Chie:支援者が少ないからお願いする立場 やってもらうしかない どうしようもない状態でした(二年生のときに手話の勉強をきちんと始めました)。

先生の口が読めない 速い 見ているけど疲れる みんなが面白くて笑っていても何が面白いのか分からない 手話ができる学生には後で教えてもらっていました。講義中にビデオを使うこともありました。真っ暗でノートテイクが見えないことも!(笑)


Mau:うっ・・・先生、それはひどい~。Chieさん絶体絶命!

Chie:手話ができる友達に携帯の灯りを使っていました。

前に友達が「レポート書かなくてもいいよ」と言われたそうです、同じ学費を払っていますが、レポートを書く機会も与えられないことになりますね。

また、聾学校を卒業した後、体育系の大学を目指していた後輩が入学を拒否されたという話を聞いたことがあります。 今の時代で?とちょっと拍子抜けでしたが、それくらいまだまだ理解は広がっていないってことですね。


Mau:危ないから?

Chie:たとえば体育の時間に何かぶつかったりして誰も責任をもてないという理由からだそうです。

他にも、友達が別の大学に入りましたが、とても苦労していました。
大学は、「入ることは許可しますが、支援はしません」とし誓約書のようなものを書かされたとか。
そのあと、友達はたまたま手話を覚えたい同期と出会いました。そこからノートテイクと手話通訳を使いながら講義を受けていたそうです。


Mau:そこまでしてくれる友達にちょうど良いタイミングで出会えた彼、彼の友達も幸運な人たちに思えます。
きっとお互いにとって魅力的であり必要な存在だったのでしょうね。

Chie:彼は両親共に聴こえないデフファミリーで育ちましたが、大学に入ってカルチャーショックを受けていました。 その人と出会った、聴こえる人は手話を覚えたあと、今はボランティアセンターの職員として働いています。

Mau:その方にとっては、まさに人生を決定する出会い。お会いしてお話を聞いてみたくなります。
ちえさんご自身も聴こえる学生には想像のできない悩みを抱え、考えながらその時々の答えを導いてきたのだと思います。

現在手話講師として人生を切り開いて生きているちえさんだからこそ、「今」同じような葛藤の中で学び、試行錯誤をしている若いろうや難聴の学生たちに、言えること、できること、それに対する選択肢、そして可能性が見えてきた気がします。

Chie:ありがとうございます。まだ今でも試行錯誤の連続ですが、聴こえる人たちとの関わり、まうさんとの関わりも含めてすべてが新鮮です。今まで知らなかったことを知れたり、逆にこっちが勉強になることもあります。

大学のとき、入って3日で辞めたいと思ったことがありました。
聴こえる人たちの世界を知って苦しくなって「(聴こえない世界と)どっちに行こうかな」とは思っていました。

でも、今の私にとっては、聴こえない世界も聴こえる世界も知っていけたらいいなと思っています。
聴こえない世界は友達との話が楽しいけれど、面白くないというか何かが足りなく感じていました。

聴こえる世界は、難しいけれど言葉がたくさん、日本語を知る機会になっている、と。
それに、手話や日本語を通して人付き合いや物の受け止め方、視点、感覚、感触を知ることができるようになりました。
多様な価値観を知る機会が広がりますね。時にはグサッと刺さることもありますが、これも試練です。

一番いいのは、手話ができて聞こえる人たちからいろいろな視点、価値観について話し合えること。
そういった信頼関係を築いていきながら、お互いが手話を通して、仕事も一緒にできたら最高です。

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by machi-life | 2009-07-03 10:18 | mau+chie life

第19回 (2009.6.26) “ 聞きにくいは、書きにくい? ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
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"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
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"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
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今回は2009年5月20日(火)に、東京新聞に掲載された、聴覚障害者に文章講座 『書く』も困難 「聞きにくい」が影響 という記事の内容から話を始めたいと思います。

誌面に登場する鈴木隆子さんは、「手話通訳技能認定試験」と呼ばれる厚生労働大臣公認の公的資格試験に合格をし、聴力障害者情報文化センターに登録することで資格を得る「手話通訳士」としてご活躍中です。

手話通訳士のお仕事が分かる 鈴木隆子さんのブログ →  "手話通訳.com"
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2009年5月20日(火)「東京新聞」より (画像をクリックすると大きくなります)

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Chie: 新聞記事の内容について、まうさんはどのような印象をお持ちになりましたか?

Mau: 純粋になるほど・・という印象を最初は持ちました。
言葉は、実際に会話の中で使ってみて(練習をしながら)意味合いを確認したり、定着をさせていくことがほとんどではないかと考えています。
聞いたり話したりという他者との練習が不足しがちなろうの人たちにとっては、聴こえる人たちがある程度自然に身に付けてきていることも、「勉強」をしていかなければいけないのだろうな、と想像しています。

Chie: ありがとうございます。
新聞記事の受け止め方は人それぞれですが、聴こえる人から見て、こういった日本語の使い方についてどのように受け止めているのか聞いてみたかったです。
耳で聞く言葉がほとんど少ないため、オノマトペ(擬態語、擬音語)も含めて、文字による情報が必要になります。

最近は、大学に進学するろう者が増えている(少子化による大学の門戸を広げる背景もありますが、ここでは敢えて触れないとします)ので、ろう者でも日本語ができると思われているかもしれないです。

でも、レポートを書く度に聴こえる友人の力を借りながら無事に卒業にいたった努力家の友人もいました。
その人は人間的にとても魅力のある方ですが、日本語による表現が苦手と言っていました。
もし、その友人が書いた日本語を読んで、その人の能力を全て判断していたら、魅力的なところも気がつけなくなる可能性については、新聞記事の内容でも同じことが書かれていますね。

それくらい、ろう者にとっての日本語は、日本に住んでいる以上、手話と同じように切っても切れない言語だと私は思います。

日常生活の会話として、口話や手話による会話はスムーズにできている人が、実際に文章を書くとなると頭を抱えてしまいます。手話と日本語の文法が異なるからですね。
外国人が日本語の壁にぶつかってしまうのと同じだと思います。

書き言葉による日本語は苦手なのに、手話での日常会話はできているから「一体なぜなんだ?」という疑問は、聾学校時代からずっと持っていました。
1つだけ分かったことは、日本語の使い方について知る機会がなかったこと。
適切な教育を受けていればある程度の書き言葉は習得できると思います。

現代では、携帯電話によるメールを通して、話し言葉を知ることができます。
高校時代に関西弁を使う人とメールをしていました、そのときに「〜やねん」が携帯画面に出てきたときは、「こうやって使うんだ〜」と感動しました。

文字として日本語に触れる機会が増えてきたことから、年配の方と比べれば、若いろう者の方が知っている日本語は多いのかもしれません。
それでも、手話と日本語は使い方が異なる言葉であることから、助詞や動詞の活用等の違いは起こりやすい。きちんとした書き言葉が書けるようにするために、教育現場に立っている方々や関係者たちは試行錯誤しながら毎年研究を続けていらっしゃいます。

まうさんは一般的に、日本語が苦手、と言われてピンと来ますか?(もしそうだとしたら)どんな風に苦手だと思いますか?助詞レベルや、語彙の数が少ないとか。


Mau: そうですね。助詞、いわゆる「てにをは」、などは日本語を習得しようとする外国人にとっても難しいと聞きますし、聴者でも間違えることはあります。
ただ、新聞にあったような「作成した文を 直る お願いします」というような文章は、聴者ではまずありえない間違いです。ただし、コミュニケーションとしての日本語、ビジネスマンとしての日本語能力・・・は別に考えていく必要がありそうですね。

Chie: ありがとうございます。新聞にあったような文章を見て、意図は大体理解できますか?

Mau: 意図を掴むことは可能ですが、想像力を要します。このままでは、ビジネスではまず通用しませんよね。日本語だけではありませんが、ほとんどの言語は、「はなしことば」「かきことば」がありますよね。
会話のなかであれば、この文章でもやっていけるでしょうが、書く文であるなら、かなり無理があります。

Chie: そうですね。仕事ができないと判断される可能性もありますね。
手話の単語の順番がそのまま日本語に出ていますね(助詞の役割は、手話では、手以外の動きにあります)。

社会で働くろう者にとっての痛いところはここですね。ろう学校で日本語をきちんと習得できる教育プログラムができていたら解決できたかもしれないです。


Mau: ろう学校では、「日本語」をどのように教わるのですか?

Chie: 私が受けた教育の範囲でお話しします。

幼稚園時代は、親が書いた絵日記を音読しました。
きれいに発音できるかどうかのチェックと、日本語の文章を文字に沿って発声できているかのチェックでした(もちろん、意味を完全に理解して発声したわけでではなく、「意味は分からないけど、書いてある文字を読めばいいや」という風に機械的に読んでいました)。

小学時代からは、発音の練習と国語の教科書を音読。声は全く聴こえないですが、みんな声を出していました。発声と読み方のチェックができるのは先生だけですね。(不思議な光景!?)


Mau: 音読が中心なのですね。
ろう学校での日本語教育プログラムで足りなかったものとはどんなものだと思われますか?

もし、ちえさんが、いまのろう学校で日本語の授業を受持つとしたら、どのような授業にしたいと思いますか?

Chie:授業を受けた立場から言うと、手話、絵、映像による視覚的情報を使った解説がもっとあったら良かったと思います。
具体的な方法について、現場の先生たちが試行錯誤しながら研究しているので、一度お話を伺ってみたいですよね。


Mau: 作文などはありませんでしたか?あるいは、読書感想文とか。

Chie: ありました。でもあまり意味はなかったかもしれないです。同級生も提出していましたが、結局、文章力は上がらないままでした。

Mau: わたしも読書感想文は嫌いでした(^_^;

Chie: 私も嫌いでした。意味が分からない文章を書くような感覚でした。

Mau: なるほど。
自分で書いている文章の意味がわからない、つまり、なにを書いているのか分からない、ということでしょうか・・・何が分からないのか分からない状況に陥ってしまいそうです。
わたしは、読書感想文は嫌いでしたが、読書そのものは好きでした。また、良い文章を書けるようになりたいと思っていました。そこで、好きな作家の文章をただただ写したりしました。写経みたいに。

わたしがこのようなことを始めたのは、書くことが苦手だっただからだと思います。でも書くことは好きだったので苦手だけれども、上手になりたい、と自分のできそうなことから試してみました。以前のブログでちえさんも好きな映画を暗記して、家族の前で暗唱する練習をしたと言われていましたが、それもちえさんが独自で苦手なところを克服しようと編み出したものではなかったのでしょうか。

Chie: 苦手なことを克服しようという意識はなかったですが、結果的にはそうでしたね。
写経みたいといえば、私も似た経験がありました。小学6年生の頃の感想文で、自分の話したい言葉が見つからなくて「私はおもしろいと思いました」としか書けなかったです。そのとき、母が訂正した文章をそのまま書き写していました。

それでもまだ概念がはっきりしていなかったことだけは覚えています。
まうさんと同様、苦手だけれども、上手になりたいという向上心があるから書けるんですよね。
高校時代からは新聞の投稿もあって、文章をもっと書けるようになりたいと思っていました。


Mau: 新聞の読者投稿コーナーのことでしょうか?!私にも夢中になって投稿した時期がありました。
自分の考え方を、全国の不特定多数の方々に向けて発信をし、紙面上で存在を認めていただき、(時には)コメントをいただく喜びを教えてくれたのは新聞でした。これも立派なコミュニケーション方法と呼べそうですね。

他者と関わりながら、生活をしていくことを決めたのであれば、置かれている状況に合った日本語力を求められることは、ろう者、難聴者、聴者に隔たりはなく当然のことだと思います。言葉の言い回しや使い方等はある程度は自然に覚えていくものですが、人によっては練習の機会や方法に選択肢が無い状況もありそうです。

それらを克服するために、一人ひとりに合った学びは必要不可欠ですね。
特に小さいときは、学校や親に頼るしかない状況です。そうするとちえさんが言われているように、学校(特にろう学校?)での日本語教育は、試行錯誤の段階と言いつつも、それぞれの状況に合わせた日本語教育方法に真剣に取り組み、話し合われていくべきことのようですね(聴こえる学校も試行錯誤中ですが)。

ある程度大きく成長をしたら?
「学校が・・・」「親が・・・」と言っているよりも、自分に何が不足しているのか考えて、頭と身体を動かして、こちらから立ち向かうべき対象、目的とする物事に向かっていく方がよっぽど面白い経験ができると私は信じています。

「いかに学ぶのか」は大人になってからもどこまでもずっと・・・続いていきますね。
学び合う者同士、「◎◎を学びたいから教えて下さい!協力してください!」と情熱を持って懇願されたら、、断ることの方が難しそうです。
一生懸命な大人の人間関係は、学校で学ばなくなった今もさまざまなことを教えてくれます。そこから更に教科書には書かれていない日本語力が培われていることは間違いありません。

Chie:他者と関わる上で、言葉は不可欠ですね。不思議なことに、言葉があってもすれ違いや誤解は起きる。でもそれを直すのも、また、言葉。

ボディタッチもコミュニケーションスキルの1つで、言葉とボディタッチの両方がうまくかみ合ったらもっと素敵だと思います。
学校で一人一人合わせることはなかなか難しいことですが、そういった環境を通って社会に出て、手話を通して聴こえる人たちとの交流が増えていくと自然に日本語を知ることにつながると思います。

今、こうしてまうさんと話をしていることもその1つであり、私にとって日本語で考える、日本語を使う機会になっています。

手話という、お互いの意思疎通が可能な言葉を使うことにより、ろう者にとって日本語を知る機会が拡大していく。また、聴こえる人たちも手話を通してコミュニケーションスキルをアップしていくことで良好な人間関係を築いていける。お互いに学び合うことによって、社会を生きる力として養えますね。


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by machi-life | 2009-06-26 22:46 | mau+chie life

第18回 (2009.6.19) “そこに存在するということ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
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Mau: 今日は先回のブログを少し振り返ってお話を進められたらと思います。よろしくお願い致します。

Chie:よろしくお願いいたします。

Mau:過去にも、“気持ちだけが先走りをして、ちえさんと私二人きりが分かったつもりでお話を進めてしまった”とハッと後から思うことはありましたが、先回のブログは初めてブログに遊びに来て下さった方には少々展開が早くなりすぎたといいますか、深いところへ突然潜っていってしまったように感じた方もいらっしゃったようです。

いつの間にか、ブログも、5ヶ月目(!)に入り、さまざまなことをお話してきました。深い内容に突然どぼーんと飛び込んでしまったり脱線してしてしまうこともありましたね。

それは、流れとしては至極当然のことだと思いますが、お互いに意識をして丁寧に説明を加えていく必要もありそうです
ブログを読んでくださっている方にお願いします。「展開が早すぎる!」、「これはどういう意味?」など、どしどしコメント欄に書き込んで下さるようお願い致します。

Chie: 確かに読み返してみると、これから読む方にとっては「え?話の流れが見えない」と想像ができないところにいっちゃっているかもしれないです。
でも、これは説明を加えれば解決できることと思いますが、「分からない!」という方がいましたら、ぜひコメントをいただけると私もうれしいです。


Mau:先回のお話の中で、ちえさんは、 「(ろう者の中には)“自分は困っていない”と言い聞かせることで生きていく人がいる」、と言われていました。
私自身、多分そうなのだろうなとは想像していましたが、はっきりと言葉にしていただくと、「ああそうなのか、そうだったのか」と改めて思い直しました。
たしかに、普段の生活の中では圧倒的な聴者のなかに、少数のろう者がいる、という場面がほとんどだと思います。気を使われるのもつらい、というのも本音なのだろうと思います。

これはあくまで聴者としての私個人の意見ですが、それでもやはり、聴者はこのような場合、ろう者の方々に対して気遣いをすることは、隣り合わせになった人に対する自然な心遣いだと思います。ちえさんと知り合って分かったことですが、具体的には、同時に意見を発しない、なるべく顔を上げて話す、などといったことでしょうか。

隣りにいる人にもその場所に心地良く居て欲しいと願うことは、たとえ聴者同士であっても普段無意識にも、意識をしても行っていることだと思います。ちえさんはどのように思われますか?

Chie: 「自分は困っていないと言い聞かせることで生きていく」ということにおいて、ろう者の方々に気を遣うのは良くないという意味ではなかったです。
その辺りについて、私の言葉の使い方が微妙だったと思います。お互いに聴こえないことについて知っていることが前提条件になっていればお互いに気持ちよく気をつかうことはとても重要で大切だと感じています。

一方で聴こえる人たちのグループの中に入っている時、聴者同士で討論が盛り上がっているときは、話が進んでいるのに止められない、楽しいという雰囲気を壊したくないという想いが出てきた後に、強がってしまいます。

強がらなくて良いのに、強がってしまいます。
「ろう者としてかわいそうと思われるのが嫌」という反抗心みたいなものが出てきて、本当は「ねぇねぇ、何の話?」と教えてもらいたいのですが、気をつかわれて特別扱いにされてしまっているのは嫌だなという葛藤が起きます。

でも、今は分からなかったら聞けば良いと少しずつ思うようにしています。


Mau: すみません、今のお話についてなのですが、ちえさんが言われているのは、聴こえる人たちが普通に話をしているときは、ちえさんも話をしている人たちの口を読んだりして、話に加わっていくことができるけれど、盛り上がってくると、ついつい興奮をして早口になってしまって、話の展開を見失ってしまうのだけれど、話の流れを止めたくないので、「ちょっと待って!」「もう一回言ってみて」と言えないということでしょうか?

Chie: もともと、口の動きを読み取るのは相当なエネルギーが要るので、元気なときなら何とかもちます(笑)。
メンバーにもよりますけど、もしまうさん以外で知らない聴こえる人たちがいっぱいいたときは言いにくいかもしれないですね。
でも最近ある人に言われてハッとしたのですが、存在感を示すことができたら状況はきっと変わるのだと思います。
もし私が「聴こえないわたし」としての存在感が周りの中にあったら自然に共通のコミュニケーション方法が見つかると思うのです。
例えば、オバマ大統領が私たちのグループの中に入ってきたらどうしますか?
オバマさんを無視して日本語で話し続けることはできるのでしょうか?
そんな風に考えてみていただけたらと思います。


Mau: なるほど・・・とても良く分かります。先日そういう話を私も友達としました!

Chie: ちょうど同じ時期だったんですね、これも何かのご縁でしょうか^^どんな展開になりましたか?

Mau: 時々、たくさんの人がいる空間にいて笑っていても、ひとりぼっちを感じることがあります。こんなに人がいるのに、自分が誰ともつながっていないと感じるなんて、おかしなことだと感じながら、自分自身がそこへ存在していることも忘れそうになります。

逆に、普段からの信頼関係があるという前提ですが、たくさん話をしなくても、そこに存在して、しゃべらなくてもただただそこで時間を一緒に過ごすことの気持ちよさを共有できる人はいる・・・それはどうことなんだろうね? かなり抽象論ですが、そんな内容だったかと思います。

Chie: 話の内容が分かるかどうかということだけではないんですね。その人たち同士の信頼関係も大きいのでしょうか?

Mau: 話の内容が分からなくても、居心地の良い空間はちょっとした心遣いで作れると思います。
もしかしたら、ちえさんが「特別な気遣い」と思ってらっしゃることも、ちえさんとお友達になりたい人たちにとってはちえさんに対する「愛のメッセージ」のようなものかもしれませんよ。

I care for you という言葉があります。「care」には、気にかける、心配する、気遣う、大切に思う、などの意味があります。
直訳すると「君のことを気遣っているよ、大切に感じているよ」となりますが、“I love you” という意味にも取れるように思いませんか。
ちえさんの通訳やサポートをして下さった方も、ちえさんを「気にかけて」「大切に思っていたから」「接点を持ちたかったから」支援を買ってでたのではないでしょうか。
直接言葉を交わさずとも、「あなたの存在を感じていますよ」というサインを送っていたのではと思うのです。 

Chie: 今までのことを振り返ってみると、聴こえる人たちとの付き合いが多かった学生時代はなかなか「愛のメッセージ」に気がつかなかったですね。
その頃の自分は聴こえる人たちの中に溶け込めない分、気をつかわせてしまっているのかと落ち込んでいました。


Mau: ちえさんの気持ちを全部理解することはできませんが、落ち込む気持ちも分かる気がします。
聴こえても、聴こえなくても、どんなに友達でも、家族でも・・・気を遣う、気持ちを配るというのは、お互いにしたりされたりしているのではないでしょうか。

私個人の話ではありますが、昔から大きなグループの中で、特に初対面の方々で集まってお話をするのは(実は)苦手です。どうも伝わる気がしないのです。きちんと近くにいる人のお話も聴きたいし、伝えたいと思うと私の場合は5、6人がベストナンバーかもしれません。

Chie: 存在感がそれぞれ薄くなってしまいそうな気がするからでしょうか。

Mau: うーん、存在感というよりも、それこそ気配り&目配りが安心してできる距離感というのでしょうか。
「ちゃんと話したい」んですね。せっかく時間を一緒に過ごすのであれば、何が起きた、起きているかという表面的なことよりも、お互いに、あることについてどのように考えているのかということを、きちんと語りあえる人数とでもいいましょうか。

でも、学生時代から20代の初めには、自分の心に嘘をついて、人に合わせたり、分かったふり、楽しいふりをしていました。今振り返ってみると、そんな自分も愛おしいですね。

Chie: 「ふり」は聴こえる人の中にもあるのですね。

Mau: それはありますよ~、ちえさん!

それは聴こえる中にあっても、同じです。全く分からない話題について話が進められている時は、訊ねにくいものです。まして、たび重なると知っているつもりをしてしまうことはあります。
そうすると・・・確かにちえさんが言われているように、その場やそのグループの集まる場所に行きにくくなって、結果的に避けたようになることもあります。

でも、自分の知識や経験が足りなくて、その場に居たいのにいられない(自分の意志や意見を持って存在できない)ときは、その場へ戻ることを目標に努力をすることもあります。自分の意志のあるところ、そしてそれを皆の前で表現できることができ、何かしら残すことができることが私にとって「存在」することなのかな。

そう考えると、沢山の人がいつも私の中に存在してくれていますね。特に一人で旅をしていると、入れ替わり立ち代わり彼らが出てきて、私の判断を助けてくれます。

Chie: その場に居たいのに居られない、これは結果的に自分自身が「その場の価値」を見出しているからこそ努力ができるかもしれないですね。
いろいろな人、沢山の人の判断というのは、「あの人だったらこうするのでは?」と考えて冷静に判断するのと同じでしょうか?

もしそうでありましたら、私自身もそうした行動を意識することはありますね。

学生時代のゼミの飲み会で、最初はみんなが気をつかってくださったけど、次第に盛り上がって早口になっていました。
でも、私はそれが想像できていたことなので「まぁいいかな」と思って眺めていました。

そうしたら、隣の学生が通訳したんですね。
そのときは情報が伝わったからありがとうって思ったんですけど、次第に通訳している学生に申し訳なくて、「私がいなければ、その人はもっと楽しめたんだろうなぁ」って思った経験があります。

実際にその人に謝ったら「そんなことは思っていない」と言ってくれていました。でも、当時の私にとってはその場にいるのが苦しかったですね。

私がいることによってその学生の楽しみを奪ってしまっているのかも、って。

そう思って以来、ゼミの飲み会にはだんだん参加しなくなりました。

今の私だったら、参加して隣の人を引っ張りだして話をしていたと思いますが当時はそういう勇気もなかったです。

こういった経験もあって、気をつかわれていることについては若干抵抗感を持つこともまだあるようです。
最終的には、みなさんが手話で話せるようになったらその悩みは簡単に消えていきますね。


Mau:さきほど、ちえさんが質問をして下さったことに対してまずはお答えします。
普段は、誰が何を言ったか、詳しいことはすぐに忘れてしまってすぐに思い出せないのですが、判断に迷ったとき、初めての場所に行ったり、出会ったりするときに(特に、自分の能力以上の場に出てしまったときですね)私の中に存在してくれている人たちの話し方や笑顔が次から次へと浮かんで、私と共に居てくれるように感じることができます。

話が行きつ戻りつしますが、私が思うに、きっとちえさんのお隣に座っていた方は、通訳が・・・というよりも、ちえさんとも一緒にお話をしたいから、という気持ちだったのではないのかな?とも思いますよ。

かえってゼミにちえさんが来なくなったら・・・私だったら心配しちゃうかも?!
その方とは、その後もお話をされましたか?

Chie: ゼミには行っていました。あのときのゼミは、みなさん手話ができなくて、手話講座をやろうかという話もしていました。
でも、手話をいざ教えようと思うと教えられなくて。何から手をつけたら良いのかな、という感じで、あっという間に年度が変わってしまいました。

たまたま、ゼミのメンバーとは講義が同じだったことがありました。
飲み会で通訳をしていた彼女から、「ノートテイクをやりたい」と申し出があったのです。
講義保障として、講義の内容をノートに要約筆記をする仕事をお願いしました。そこからまたつながりが持てました。


Mau: きっとそうですよ。その方はちえさんとコミュニケーションを持ちたかったんだと思います。それはちえさんが、がんばっている姿(存在)を見ていたからではないでしょうか。
損得を超えて、何か自分ができることをしたいと思わせる人はいます。ちえさんが学校に来なくて、さぼってばかりいて、人にも態度が悪かったら、要約筆記も要らないし(笑)、申し出てももらえないと思います。

Chie: ありがとうございます。そうですね、学生時代に態度の悪いろう学生(聴覚障害学生)もいましたが、その人の周りからは自然に、支援する学生が離れていきました。

元々、大学は学ぶ場(といっても、私も時々さぼっていました^^;)なので、支援する学生の力を借りる以上、勉強するのが当然ですね。

正論で言えば、勉強する為に支援学生の力を借りる、ですね。

それにしても、まうさんのお話を聞いていると、学生時代の私って本当に浅はかな考えだったなと思います。


Mau: いいんですよ~。きっとその時はそれで。今のちえさんも、大学を一度辞めて入りなおした私も、葛藤したから今ここに存在できるんだと思います。
私はもっとちえさんと甘えあいたいですけどね~(怪しい意味ではありませんので、ご心配なく)。

Chie: あはは〜(笑)、ありがとうございます^^ 甘え合いましょう♪まうさんが大学へ入り直したというお話、まだ聞いていなかったですが、今度お聞かせください。

学生時代はいろいろな意味で、自分を見つめる時間が多い分、何を求めているのか時々分からなかったり、変に熱くなっていました。


Mau: 仕方ありません・・・猪突猛進年ですから、私たち。

Chie: 猪さんぶつかってもまた別のところへ行きますよね。壁にぶつかっても前に行けそうな力を感じます。結局は人間力によって生き方も左右するのかもしれないですね。存在感を示すということにおいても、人付き合いをすることにおいても。

Mau: ちえさんが今ここで率直に、素直に話してくだっていること、いつもお会いするとじわじわとしみ出てくる面白さ、ちえさんの静の世界・・・私は魅了されっぱなしです。そしてそれは、どんな人間関係でも必要なことですね。それがお互いを尊敬し合い、その人にしかできない存在を認めることではと考えます。
似ている部分と、違う部分、その両方があるから、また面白いのでしょうね。

Chie: 本当にありがとうございます。まうさんとのお話はいつも、自分を落ち着かせる、ふと立ち止まって考えさせられるきっかけになっていますし、まうさんとのお話をしているともっと行動的になろうという元気をいただけます。逆にエキスを吸いすぎてしまっているかしら〜と思うときがありますが(笑)でも、本当にありがとうございます。こうしてお話ができることは、それぞれの経験の積み重ねの結果なのかもしれないですね。

例えば学生時代に出会っていたらブログを第17回まで続けることはできなかったかも?とは思います。


Mau: ちえさん、何のエキスを吸ってるんですか~!!

Chie: あはは(笑)まうさんのパワーを吸い取っております(笑)。

Mau: そういえば、10代の頃「作家」になりたかったのですが、机に毎晩向かっても何も書けず・・・。
ある日、「あ、あたしまだネタがないんだ!」ってことに気づいたときの嬉しさったらありませんでした。
面白おかしく、いっぱい失敗を重ねていくことをしていかなきゃ、私らしい文章は書けないんだって心底思えた瞬間でした。周りにいてくれる人は貴重な証人です。

Chie: なるほど!答えは近いところにあったのですね。今だから、ブログ第17回もあっという間に進められたと思います。

Mau: 本当にそうですね。
時間をやりくりしつつ、お互いに心を配りながらのブログ更新は大変な作業でしたが、滞る週はありませんでしたものね。
一人だったら続けられなかったと思います。まだどこへ行き着くのか分かりませんが、これからもよろしくお願いしま~す♪

Chie: 本当にありがとうございます。一人旅にはない魅力な旅もありますので今後ともよろしくお願いいたします♪

☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

皆さんからの「声」、お待ちしています。

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by machi-life | 2009-06-19 11:24 | mau+chie life

第17回(2009.06.14) “ろう者に憧れる聴者 ”

聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Mau: 先週末には、私の主宰する教室の2周年記念イベントにお越しいただき、ミニ・手話レッスンをしていただきありがとうございました。

昨年、教室が1周年を迎えた際に、日頃からお世話になっているお客様、友達、家族に感謝の気持ちを伝えることのできる、みんなの心に残る「何か」を行いたいと漠然と数ヶ月前から考えていました。

初めに頭に浮かんだのは、私自身が起業をして感じた「経営することの難しさ&心細さ」を他に自営で仕事を行っている人も感じているのではないか?という思いでした。それと同時に、会社員時代には満たされることのなかった充実感や日々丁寧に仕事を行うことのできる喜びを含めて、さまざまな事をざっくばらんに話し合える、競争し合うのではなく共存できる関係作りを分かち合える機会を作れないか、と考えたところから構想はスタートしました。

ですから、最初は、自営をされている方、これからしたいと思っている方々を中心に声をかけさせていただきました。こうして、何も無いところ、あえて言えば熱意だけで始まった企画でしたが、予想以上にスムーズに形ができあがっていきました。これは少なからず同じように考えている人がいらっしゃったことが大きいです。もちろん打ち合わせを何度も重ねているのですが、普段のお互いの人や仕事に対する接し方、考え方を見ているからこそ、共有することのできる、言葉以外のものにも助けられました。

この方たちと、みなさんが「素敵なハプニング」を生み出す空間を周年イベントとして、プレゼントすることのできる、二日間だけのちいさな「お店やさんたち(商店街)」を作ることにしました。

これが昨年大好評で、二日間で約180人の方に足を運んでいただきました。
今年は更に、深みを増したお店同士の関係も生まれて、皆さんに喜んでいただきました。

ちえさんが所属されている「手話レクチャーハンズ」さんにも昨年に続いて参加をしていただきました。
二日間共に参加していただきましたが、両日とも異なるアプローチになりましたね。

講師としていらしたちえさん、そして I さんも、手話やろう者に接するのは初めての人たちの前でのレッスンは緊張されたと思います。

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Chie:お誘いをありがとうございました。日頃お世話になっているまうさんのイベントで、地域に密着したイベントはどういうスタイルなのか、どういう雰囲気なのか、参加させていただく立場で、学べたらと思っていました。
私も参加させていただいていましたが、まさに商店街でしたね。

当日は、クイズをしたり、手話伝言ゲームをしたり、手話に親しむ活動を中心に行いました。
今回初めて、Iさんとペアを組んで教えてみましたが、一人でやることとペアで教えることはかなり違うと実感しました。

Iさんは一通りに教えた後、相手の言いたいことを引き出すタイプに近く、私は、相手の言いたいことを中心に進めていくタイプです。 ペアだからこそ生み出せる物は何なのかという点まで考えられなかったことが一番大きな反省点ですね。

一人でやれることとペアでできることは違って当然だと思います。それなのにできていなかったことは本当はすごく悔しい体験でした。

どちらかというと、Iさんは優しい方ですので私のスタイルに何とか合わせてくれようとしていました。
申し訳なかったです。

ハンズとしては、地域の方々に手話を広める取り組みを行っていることから一人でも多くの方に「手話」を目にする機会を増やすということが目的でした。もう少し強いて言えば、手話を目にすることを通して、手話に触れてもらうという道のりを作ることが今回の目的でした。

以前まうさんと、手話だけを指導するのではなく、まうさんとのこうした対談の積み重ねによって、聴こえないこと、聴こえない人ってどんな人?といった素朴な疑問にも答えられたら良いねという話をしました。

そこで、クイズを出すことによって、日頃の生活で「聴こえない人はどうしているのか?」「手話って世界共通?」ということを考えていただけたらと思っていました。
講義スタイルではなく、和やかな雰囲気のイベントですので難しい説明はせず、ただ、素直に「どうしてかな?」といった疑問を持たせたら・・・と考えていました。
でも、みなさん、意外と「世界共通ではない」と答えていらっしゃったのでちょっと思考停止してしまいました(笑)。

通訳を介して解説したら良かったのかもしれないですが、みなさんに疑問を持たせながら手話を目の当たりにしていただけたらより興味を持つことにつながるのではと思っていました。


Mau:二日目は、IさんとスタッフのHさんでの登場になりました。お聞きになっていると思いますが、その日は「手話」そのものよりも「聴こえない世界」について話題が集中しました。

あの時間、初めて「聴こえない生活」に思いを馳せた人は多かったと思います。
普段の生活の中で、「聴こえない」ことを想像することは全く無い中で、Iさんと会場との質疑応答のキャッチボールは、必ずしもお互いが求めているものではありませんでした。

聴こえる人は、「ろう者は聴こえないことで、困っている」ということを前提にした質問が多く出たように感じましたが、Iさんは、「いえ、個人的に困ることはありますが、それは人それぞれなので、ろう者だからと言って特別困っているわけではありません」。そうIさんが言ったときの会場は、少し拍子抜けしたように思えました。このときの空気に、今のろう者と聴者の価値観や距離の違いを垣間見た気がしました。

Chie:Iさんの「聴こえないこと」についての考え方によるものは大きいと思います。
ろう者といっても、十人十色ですし、困っていると言えば困っていることはあります。
でも、あえて「自分は困っていない」と言い聞かせることによって生きている人もいます。
そうしないと耐えられなくなるからですね。

分からないことを常に追求する、追求すればいいかもしれないですが、目の前で声だけで話されていて「分からないから教えてほしい」と言い続けることはエネルギーが要ります。
分かったフリをすることで自分を封じ込む。困っている自分を見せることなく、気を使われることもなく、といった感じだと思います。

Iさんとしては、聴こえない立場というよりも、「Iさん自身」の立場で答えただけにすぎなかったでしょう。
もし、聴こえない立場として話してほしいと言われたら見方を変えて答えることはできていたかもしれないですね。

聴こえる側としては、「できない」「困っている」という負の側面を観がちですが、それは当たり前のことだと思います。
全盲の人に会うと、私も「見えないって何だろう?怖いかも?」と障害の方に目を向けます。
経験を積めば、「人それぞれだからいいんじゃない?」と思える側面もでてきますけど、負の側面については、「そこまで知る必要はないんじゃないかな」のと、「いや、知っておいた方が良い」という、当事者としての想いが揺れてしまうときがあります。

ハンズとしては、あくまでも手話を広めることを前提にしているため、聴こえないことがどういうことなのかについて話すことは、相手が求めていれば答えるようにしています。
聴こえないことと手話は関係しているものですが、聴こえる側からにしてみれば、「手話」と「聴こえないこと」は別物と捉える方もいらっしゃると思います。

通訳を介したことにより、1日目よりはろう者の方から情報を提供することができたと思います。
ただ、通訳を介してというより、最終的には手話を通してお互いに情報を提供し合うことがハンズとしての理想、ろう者としての理想でもありますので通訳を使うことには積極的になれずにいました。
でも結果的に、少しでもみなさんにとって情報提供できたのであればそれはそれで良かったと思います。


Mau:なるほど、そういうことだったんですね。
私自身も、今回のちえさんの意図を捉え違えていたようです。
二日間イベントに参加していただいた方も多くいらっしゃいましたが、その方たちには2つの違った手話に対するアプローチを体験することのできる機会になったと思います。

今後私たちが共催イベントを開催するとしたら、どんなことをしてみたいですか?

Chie:手話の他にホワートボード、パワーポイント、パソコン、ITを使いながら対談することはできそうですね。
2時間の企画で、たぶんあっという間に終わるのではないでしょうか?

お互いに一つのテーマについて対談しながら、フロアの意見を聞いてみたり。合間に手話の体験として、手話を覚えていただく。そして、英語と結びつけてアメリカ手話を教えるということもできると思います。
(簡単な自己紹介程度でしたら、アメリカ手話は分かります)。

まうさんと私のやり取りを観て、聴こえる方、聴こえない方が「ちぐはぐしたやり取りから、どうやって意思疎通できるようになるか」というプロセスを楽しみながら(?)観ていただくことも新鮮な取り組みではないでしょうか?

フロアからのサポートは「なし」として、まうさんと私の二人がどこまで通じ合うかをだまって見守ってもらうような空間。それが、通訳を使わなくてもコミュニケーションが出来ることの証明につながるのではないでしょうか?

音声言語の通訳については、まだ勉強不足なので容易には言えませんが、手話通訳に限っての話について、通訳を介するとなぜか、その人の話の意図がうまくつかめずにいます。
また、こちらの意図が確実に伝わっているのかいつもおろおろします。

例えば、ビジネスや緊急の時は通訳を介しても問題はないですが、プロであることが前提条件になりますね。

このように、通訳を使う(言い方を変えれば通訳を頼る)ことをあえて外しておいて、お互いがコミュニケーションをとれるようにするためにはどのようにする?ということを示すことが、聴こえない子どもたち、聴こえる子どもたち、大人の方々も参考になっていただけるかなと思います。

まうさんとしては、いかがでしょうか?


Mau:いいアイデアだと思います。ちえさんの案が第一部としたら、第二部は参加して下さる皆さんをまじえて、ときどき通訳の助けもかりながら、このブログで話し合っているような場を作れたら面白そうですね。まずはとことん話をしてみる・・・そんな時間もちえさんと作れそうです。
また、「公開ブログ」のような形も試してみたいですね。

Chie:学生時代に「ろう者になりたい」、「ろう者の輪の中に入りたい」という聴者がいました。

最初は珍しいなという程度でしたが、そのうちに、「聴こえないから通訳が必要」、「同じ空間に聴こえない人がいるときは手話を使うべき」、「手話ができない人よりも手話ができる自分の方が良い」といった姿勢、言い方が目立つようになりました。

ろう者として、(聴者が)そこまで言えるのはすごいなと思う一方、ろう者のことを分かったつもりになられても困ると思っていました。

あるとき、手話サークルの運営だったかで、そのひとと意見が対立した時、「ろう者になりたいのなら、耳を刺して聴こえなくなるようにしたら良い」という発言をしてしまいました。

今はさすがにそんなことは言えないですし、そう思わなくなりましたが、ろう者のことを分かったつもりになられるとあまりいい気分でないことは今でも同じです。「私の何を知っているというんだ?」という感じですね(笑)。

学生時代に数十人のろう学生(聴覚障害学生)がいましたが、人付き合いは本当に十人十色でした。ろう者の中に入りたがる聴者を招き入れてご飯をともにする人もいましたし、私みたいに聴こえる聴こえないは関係なく、話ができる人と話をしたりしていました。

もしかしたら、大学の中だけで起こりうる現象だったり・・・?
学生だからのんびりやるというか、嫌でも自分を見つめる時期があるからだと思いますが、その辺りはどうでしょうか。


Mau: 一途に物事を考える時期はあります。学生時代だけではなく今も同じようにそういう季節は巡ってきますね。いろいろなHello&Good-byeをくり返して、私自身、日々変わっていくように感じています。

ということは、他の人も変化しているということになるわけですから、「今日」の友達の形は「明日」変わるかもしれない・・・でもそれもまたありなのだと納得しています。そう思えない出来事もあったりしますが、心では分かっているつもりです。
明らかに学生の頃とは違うのは、無理をして友達を作ろうとしなくなったことでしょうか。
年を重ねるうちに、私がどんなにマイナーチェンジを重ねても、側にいてくれる、楽に居られる自由な友人が増えました。それはきっと若い時分に、あーでもないこーでもないと一生懸命もがいた経験があるからだと思っています。きっと今のちえさんにも、学生時の葛藤は生きていると思います。

ちえさんの先ほどのお話にあった、いわゆる、「ろう者に憧れる聴者」はどうして出てくるのでしょう?

Chie:自分に自身がない。
ろう者独特の雰囲気があり、そこに馴染めない。
ろう者同士は家族みたいなイメージ。

私が今まで出会った聴者の中で、ろう者ってうらやましいと言う人は上記のことを言っていました。

私から見れば、「ろう者独特の雰囲気があること」は手話が使えてコミュニケーションができる者同士の集まりだから、手話が使えない側から見ると当たり前の印象かもしれないですね。
でも、ろう者だからそういう雰囲気と決めつけるのは少し早い気がします。
ろう者に限らず、手話が堪能な聴者であれば、馴染めます。
卒業旅行でろう者4人、聴者2人のメンバーで行きましたが、全員同じ空間を楽しんでいましたし、聴者からも「人生最高の想い出」と言っていました。

徹底的に手話ができればクリアできることだと私は思っています。

「家族みたいなイメージ」
これは、ろう者同士が出会うと「あの人知っているよね?」という話題がよく出てきます。
聾学校の数が少ないこと、ろう者の数が聴者より少ないことによって人と人のつながりはみえないところでつながっています。
「あの聾学校の先輩知っている?」と一つの地域のような、話題に出ることはあります。
でも、信頼関係があるかといったら別になります。ろう者だから仲がいいということはまず、ありえませんね。
日本人同士だから仲がいいということはない、のと同じですね。

そこを勘違いして、ろう者同士は家族みたいというイメージを持つ聴者がいます。たまたま、私の周りにはそういう聴者が寄ってきただけかもしれないですね(笑)

最後に、逆に、「聴者になりたいろう者」というテーマだったらもっと盛り上がるかもしれないですね。
私自身も、聴者になりたいと憧れていた時期がありました。
今でも「聴こえるようになったらいいな」と妄想にふけるときはあります。もし聴こえていたら私はどんな人生を歩み、何を考え、誰と出会っていたのだろう?という風に。
聴者に憧れる想いは、聴こえるという聴力レベルによるものが私にとっては大きいですね。

「聞き忘れた」とか「今の音は聞いてなかった」という聴者と話をする度に「もっと耳を活用せよ!」と言いたくなります(笑)。
でも、それは目が見えない方に「もっと目を活用せよ!」と言われるのと同じになりますね。
ついつい、人間は与えられた機能を当たり前のように受け止め、最大限に使えるところまで使っていくことが案外難しいのかもしれないですね。

長くなりました。Mauさんからのお話も聞きたかったです♪


Mau:あいたたた。 この話題については、続きのお話が必要な気がしますよ。
もう少しゆっくり私なりにも考えてみますね。

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

みなさまのご意見もお聞かせください。

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by machi-life | 2009-06-14 23:57 | mau+chie life

第16回(2009.06.06) “デフムービー”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
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♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Chie: こんにちは、週末の長野県はいかがでしたでしょうか?

Mau: ありがとうございます、気分転換になりました、まさに心の洗濯でした。
松本市から特急で名古屋まで2時間ちょっとなんですね。

Chie: 心の洗濯!本当に良かったです。
松本市からだったら、近いですね。名古屋まで行かれましたか?


Mau: そこまでの時間はありませんでした~残念です。
新潟から名古屋へは、バスが良さそうですね。

Chie: バスでしたら7時間はかかると思います。特急でしたら、新潟〜金沢〜長野〜松本〜名古屋、という順で、もっと時間かかりますね。松本市へは車ですか?

Mau: はい車で行きました。善光寺経由でゆっくり行ったので10時間ぐらいかかってますね。
松本では大学の時の、友達二人と会いましたが、その内の一人とはかれこれ17年ぶり??でした。
恐ろしく年月が流れていうますね。

二人は海外の映画をコーディネイトする仕事と石器の図面を書く仕事という面白い仕事に就いています。
そういう仕事もあるんだな~と目から鱗が落ちました。
あちらからしてみたら、大学を中退した私が英語を教えてるのもびっくりだと思いますが。

Chie: 大学中退されたんですか?初耳です(笑)

芸術はおもしろそうですね!映画関係とはどのような仕事でしょうか?石器の図面も気になりますね。


Mau: 一度目の大学の話ですね。これはまた後ほどお話しますね。
映画の仕事をしている友人は、菊池凛子さんの映画にも関わっていて、先日カンヌ映画祭へ行ってきたそうです♪ 

Chie: すごい!!憧れますね!!

本当に興味深い出会いをされて、とても良い思い出になったんですね。
菊池凛子さんといえば、「バベル」ですね。 そういえば、まうさんは「バベル」を観たことありますか?


Mau: スペイン語版のDVDをメキシコで買ったので、どこかにあると思うのですが・・・観ないままになっています。ちえさんの好きな映画ですか?今度、真剣に探してみます。

Chie: 不思議な映画の一つになっています。手話、ろう者が主人公の日本舞台、そして人種差別がテーマのメキシコ、貧しい生活の中で生きる一つの家族を映したモロッコ、3つの国々の舞台が「バベル」の映画を成り立たせている、不思議な映画です。

当時、日本国内ではろう者たちが「ろう者のイメージが悪くなるから上映をやめてほしい」という反対の声と、「ハリウッド映画なのに、字幕がつかないなんておかしい」と日本語字幕付けにアクションを起こした話を聞きました。
ぜひDVD見てみてください。


Mau: どこかに問題になるシーンがあって、「ろう者のイメージが悪くなる」という声が上がったんですか?

Chie: 菊池さんが演じたろう者は、男性を誘惑するような挑発を連発していました。

私から見れば、ハリウッド映画なら当たり前だし、シャロンストーン主演の「氷の微笑」と似ているからあまり気にならなかったです。国内のドラマでは「ろう者はかわいそう」という、泣く役が多かった為、 返って、かわいそうなイメージを払拭できるんじゃないかと思っていました。でも菊池さんが演じたことによって「ろう者は軽い女」というイメージを持たれるのは不愉快、という意見があったみたいです。


Mau: そんな!ある映画で演じられている日本人のろう者役がそうだったからといって、ろう者の女性が全て軽いと信じてしまう人がどのくらいいるというのでしょう。うーん、いろんな見方がありますね。

他にも、ろう者が出ている、または中心になって作られている映画はありますか?ろう者の監督とか?

Chie: ドキュメンタリー映画もあります。私が知っている人の中には、ろう者と難聴者の学生生活のドキュメンタリーを製作した今村彩子さんという方がいます。

彼女はアメリカへ留学した後、いくつかのドキュメンタリーを作っており、
ハンズの事務所にも1枚のDVDがあります。


Mau: わあ、それは初耳です。どんなドキュメンタリーか興味がありますね。

Chie:今村彩子さんは確か、2つか3つ年上です。 アメリカ手話の講師としてやっていた時期もありました。 大学生活を知るには参考になるDVDです。講義保障や普段の食事やスポーツをしている場面もあります。

他には、PRODIAというのがあります。これは私もよく知らないのですが、「迂路」は評判になっていました。

新潟出身で韓国の大学院に留学しているろう者がいるのですが、彼女が関わりを持っている韓国のろう者チームがあります。

http://www.prodia.jp/deafmedia.html

映画好きの聴こえない人は多いですね。
視覚的に楽しめるからだと思いますが、聴こえる人の中にも映画を娯楽として楽しむ人は多いですよね

また、アメリカには世界で初めてろう者が集う総合大学(ギャローデット大学)ではこのような大きなイベントも行われていると留学生から聞いたことがあります。学長さんが、聴者(または、ろう者の意見を聞かない難聴者)であることが決まったとき、学内でデモを起こしたという話は、手話の世界では有名になっています。
一つの場に集うと大きなパワーになるのと同じように、国際ろう映画祭も関係者が集まって盛大に行われるのかもしれないですね。


Mau: ひゃあ・・・驚きです。存在しているのに今まで知らなかった世界の扉に気づいた気持ちです。
”デフ・ムービー”。 これから海外に行くときや海外の人と関わるときのアンテナが増えました。ありがとうございます。

Chie: ちなみに韓国には、ろう者が運営しているカフェもあります。

運営主体や細かいことまではまだ情報不足で分からないですけど、そのカフェにはなぜか、メニューに3通りの金額が載っていて聴こえない人、支援をする人、聴こえる人という3通りに分かれて金額が多少異なっていました。なぜ分ける必要があるのかという点においては、韓国手話と韓国語が未発達の私にとって心の中に留めておくしかできず


Mau: ちえさんが実際に行かれたカフェなんですね!日本にもあるようですがhttp://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/ps80118a.htm
こういった感じとは違うのでしょうね。

そこはろう者の方が中心になって運営されているようですね。

Chie: 大阪にもありますね、行ったことはないですが少し雰囲気が異なりますね。韓国のカフェではDVDを大画面で楽しめるようなスペースもありました。ろう者のスタッフが多かったですが、もしかしたら会社を運営すること自体は聴こえる人が中心になっている可能性もありますし、その辺りについてはまだ分からないです。

Mau: 現在はどうでしょう?ちえさんはこういったカフェの運営には興味はありますか?

Chie:ベトナムでは知的障害を持っている就業員を雇っているカフェがありました(ホーチミン市、日本人の女性が起業)。パリにも、ろう者のカフェを開いたというニュースを聞いたことがありますので興味はあります。

東京もバーはあったのですが、今は閉鎖(?)になっていると思います。


Mau: いろいろと調べられたり、行かれたりしていますね。
ろう者の店員がいる・・・というよりも手話のできるスタッフがいるところに、居心地の良さを感じますか?

Chie: つながりがつながりを呼んだようなものですね。最初からカフェに興味を持ったわけではなかったですが、いつの間にか情報が入ってきたりした感じです。ただ、どれも半端な情報なので、調べなきゃ〜と思っています。

手話のできるスタッフがいるところは居心地が良いです。スタバに手話が少しだけできるスタッフがいたのですが、注文しやすいだけでなく、安心感があります。
向こうはこちらが聴こえないことを知っている、ということから来る安心感なのかな・・・。


Mau: そうですよね、たとえ「いらっしゃいませ」「寒いですね?」など簡単な手話でもできて、会話ができると安心・・・居心地はぐっと良くなりますね。

Chie: そうですね。高度なレベルは求めていないですし、普通に「今日はこの珈琲が良いですよ」といった会話ができたらもっといいですね。

Mau: 私も商店街の中で手話を使えるお店があったら!という気持ちもあって、月に2回、教室で手話レッスンをしてもらっていますが、なかなか広めるのは難しいです。

Chie: どういう風に難しそうですか?

Mau: 手話レッスンを始める前に、商店街の方々にチラシを配って歩きました。
予想していたことですが、ほとんどの方は、「うち、ろう者の人は来ないから!」と言って相手にしてくれませんでした。

「全く聴こえていない人は、補聴器はしていないので、外見ではわからないんです」というお話もしてみましたが。

そんな中で、いくつか興味を持ってくださるお店もありました。
残念ながら、商店街でお店を構えていらっしゃる方々は、ほぼ一人又は二人という体制で商売をされているので、日中出かけてまで手話を習うことは難しい・・・ということでした。

でもどうにか皆さんの中に入っていけないかな~って密かに策を練っています。

Chie: 聴こえない人は、聴こえるフリをするので気がつかない店員さんが多いのも真実ですね。

Mau: 聴こえる「ふり」ですか?

Chie: 聴こえるフリをすることで、迷惑をかけず、面倒なことも起こさず、というようにスーッと立ち去るということです。

Mau: 分かる気がします。

Chie: そうすれば、外見だけでは本当に分からないです。
全ての人に対しては難しく、時間がないときは筆談で済ませることがあります。
聴こえない人が聴こえるフリをやめたら、手話は急遽広がっていくかもしれないですね。


Mau: やってみますか??
余談ですが、聴こえる人も、聴こえないふりをしまけどね~(笑)。

聴こえない人が、聴こえる人たちに合わせて生活をしていると感じることはありますか?

Chie: 聴こえる人も聴こえないフリをするんですね、それは「そんな話は聞いとらんぞ~」と言うときにでしょうか?

聴こえない人が、聴こえる人たちに合わせて生活をしていると感じることはあります。
愛想笑いが一番分かりやすいと思います。


Mau: 聴こえる人も聴こえないフリをする時は、大抵都合の悪い話をされた時です。
聴かなかったことにしてしまうんです。

Chie: 聴かなかったことにする、それは聴こえない人も共通することで結局は人間の身勝手ということになると思います。

私自身も身勝手だと思います。聴こえる人のグループに聴こえない人が1人だけ入った時、聴こえる人たちが笑い合います。

話題はテレビの話だったり、旅行の話。
早口で、笑うときは手を覆う。
口の形の読み取りすらできない状況になります。

そして聴こえる人たちが「~だよね」とこちらに目を合わせるとその場で「いや、何のことか分からなかったらもう一度教えて」と言えるかどうか。

その回数が多ければ多いほど、聴こえる人たちの気分を害するわけにはいかないということから、 愛想笑いをして何とかその場をしのぐ。
私が時々、目をそらしたりするのは、愛想笑いする状況を作らないようにしているからです。

それは自分の為なのですが、聴こえる人たちと一緒に過ごすことは苦痛ですが、楽しい時間でもあります。
難しいですね。


Mau: 視線を逸らするのは  あえて「いまは聴いてないよ」というシグナルを送るということでしょうか?

Chie: そうですね。聴いていないことを示すことによって会話の輪から外れているということを知らせておくようなものです。
でもそういう行動に、「あの人は人の話をちゃんと聞いていない」という誤解も生じます。

聴いているフリをして分からないまま過ごすのと、思い切ってその場の雰囲気を壊してもいいから聞き出すのと、最初から聴いていないよというシグナルを送ることで自分を守る・・・いろいろ試している感じです。


Mau: それでいいんじゃないかな~。

変てこな言い方ですが、聴こえていても目の前にいる人が何を言っているのかさっぱり分からない、聴こえてこないときはあります。でも与えられた時間を過ごさなければいけないときには、私も流してしまいますし、自然と視線は逸れます。

時には、かなり興味深い話なのだけれど、内容が分からない。けれどどうしても知りたいなら、周りのひんしゅくを覚悟で聞くこともありますし、最初から聞いてませーんシグナルを送る相手も・・・?たまーにいますね。

昔は、「なんてひどいやつだ!」と自分を責めたこともありますが、力は入れたり引っ込めたり上手に使わないと。

本当に「聴きたい」ときや「話したい」ときには、お互いにどうにかするんだと思ってます。

Chie: ありがとうございます。まうさんのお話を聞いて何だか安心というか、ホッとしました。
このように聴こえる立場にあるまうさんからの話、とても参考になります。


確かに、本当にお互いに「聴きたい」「話したい」ときは何としてでも通じ合いたいと工夫をしますね。

Mau: 「愛」ですね うふ。

Chie: なるほど!シンプルな言葉ですが、重みがありますね。

力は入れたり引っ込めたり、、、何でもがんばりすぎるのが一番いけないですね。


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Studio AYA
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映画 「バベル」

PRODIA デフムービーエンターテインメント・プロディア
http://www.prodia.jp/
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by machi-life | 2009-06-05 23:08 | mau+chie life

第15回(2009.05.29) "もぐもぐ、ポリポリ"

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 


♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Chie: こんばんは♪ 今日も本当にお疲れさまでした。

Mau: ちえさんもお疲れさまでした。夕飯は済みましたか?遅い時間までレッスンをされているのですね!

Chie: 夕食はまだ作っていないですが、こうして話をしながら作る予定です。

Mau: なるほど~。この時間ですと外に食べにいくわけにもいきませんね。

Chie: そうですね、お店も閉まっていますし、開いているといえば、「松屋」くらいですね。
夜にお肉は結構です(笑)


Mau: ちえさんが夜に一人で「松屋」の図が全く浮かんできません。

Chie: 松屋=サラリーマンのイメージありますね~。
そういえば、食べている時の音ってありますよね?食べている時の音で、例えば、「後ろで誰かが食べているな」っていうのは、分かるんでしょうか?


Mau: わかりますよ。かなり音を立てていれば。

Chie: 固いお菓子(柿の種みたいなお菓子)をもぐもぐ食べているときはどうでしょうか?

Mau: 柿の種は、もぐもぐよりもバリバリという音のイメージです。

Chie: パリパリ、パリパリ、パリパリ

Mau: そんな感じです♪ Chieさんの中では、文字の上でのオノマトペ(擬音語、擬態語)はどう「聴こえて」いるのでしょう?

Chie: 雨だったら、ザーザー、しとしと、ポツポツ。

Mau: お姉さんたちがぺちゃくちゃとしゃべっている・・・とかポツンポツンと雨が降ってきた!などでしょうか。

Chie: そんな感じですね。しとしとはどんな感じでしょうか?

Mau: しとしとは、雨が音も立てずに静かに長い時間降る感じです。昼間というようも、夜も遅くなってから降る雨のイメージがあります。
聴こえる人たちと話をしていて、感覚の違いを感じるオノマトペはどのようなものですか?

Chie: 前に「雨がしとしと降る」ということについて私は、雨がまもなく降ってくるというような感覚を抱いていました。
それについて聴こえる人と話をしたとき、ザーザー降ってそれがまもなくやみそうな感じと聞きました。
違っていたことが分かってショックを受けました。カルチャーショックですね。
ただ、その人は「個人差があるかもしれないね」といっていました。

そこから疑問に思ったのですが、日本人同士はオノマトペの概念は同じなのでしょうか?家族との会話でも、時々、「今のはそういう擬態語じゃなくて、こう言うんだよ」と指摘されて修正して育ってきました。


Mau: 本当に使い方は難しいと思います。聴こえる人にとっては、聴こえている音をあえて違う音(擬音)にすることで、会話に“躍動感や動き”をもたらすものとして使用しているようです。

Chie: 躍動感、動きについて、聴こえる人たちは耳で聞こえている音は全員同じでしょうか?
例えば、手を叩くときに聴こえる音が「パンパン」だったら他の人も同じに聴こえるのでしょうか?


Mau: よく考えると悩んじゃう質問ですね(笑)。他人の耳を身に付けたことがないので、私が聴いている音と全く同じ音が他人に聴こえているかと聞かれると「わからない」と答えるしかないのですが、全く同じでないにしろ、人を何人か集めて手を叩き、それをオノマトペで表現してくださいと言われたら、恐らく「パンパン」「ポンポン」「パチパチ」と答えるように想像します。

Chie: 悩ませる質問ですみませんでした^^; オノマトペについて、まうさんが海外に行かれた時、何か思うことがありましたか?日本と海外は異なるでしょうか?

Mau: アメリカ人の友人は、しばらく日本で暮らすと日本の擬態語(めろめろ、びしびし等)は独特かつ多種多様で、文中で使用されると、時にブラックユーモアや粋な感じさえ漂って、とても興味深く、面白いと言う人が多いですね。このテーマについては、とある本を海外に帰国する友人や日本の文化に興味がある異国の友達にプレゼントしていますが、とても喜ばれます。

Chie: どんな本でしょうか?

Mau: 「わくわく英語フォトブック」日本の擬音語・擬態語について写真と共に書かれています。

Chie : おもしろそうですね。私も読んでみたいです。やはり、国が違えばオノマトペも異なるのですね。

Mau: 何十冊購入したか分かりません。著者は日本に滞在経験のあるベルギー人の方です。擬態語、擬音語を使用した例文と、思わず吹き出しちゃう写真が掲載されています。
日本語の巧妙さと面白さを外国の方から教えていただいた一冊です。

Chie: 買います!決めました、でももう一冊必要ですね(Amazonで送料が無料になる為にはあと400円くらい必要です)
最近おもしろい!と思った本ありますか?


Mau: 最近面白かったのは、「くらやみの速さはどれくらい」という本です。あとは「13の理由」かな。
どちらも海外の作者によって書かれた本ですね。

以前は海外の翻訳物は読みにくいと思い込んでいて、ある特定の作家のものしか読みませんでしたが、最近は日本の小説にはない展開の読めなさを気に入っています。ちえさんはどんな本を最近読んでいますか?

Chie: ありがとうございます。海外の小説、久しぶりに聞きました。学生のときにサスペンス小説を読んでいました。
「13の理由」、あらすじを読みましたが、何だかすごそうですね。

最近はセミナー、営業関係の本を読んでいます。広報誌も読んでいますが、まだかいつまんだ程度ですね。「くらやみの速さはどれくらい」という本、本屋で中身を見てみます。


Mau: ぜひ、「くらやみ・・」の方は、持っていますので、もしご興味があればお貸しします。「13の理由」は、ほんぽーとにあったような気がします。

Chie: ありがとうございます。是非お借りしたいです。

Mau:それでは次回お会いしたときにお渡ししますね。どちらもフィクションですが、どちらも自分や身近な人にありえそうなところが、想像力を掻き立てられ引き込まれます。

Chie: リアルな世界なんですね。ありがとうございます。
オノマトペの話に戻りますが、話し言葉について、話し言葉は読唇(口の形を見て読み取る)では絶対分からないです。映画の字幕、漫画の吹き出し、雑誌のインタビュー記事から文字として学んでいます。

映画は中学校の時からほぼ毎日のように見て、その後役者のマネをして家族に台詞を言っていたときもありました。
「100万人の市民に対し、こっちは81名の人質。そして、フランクハメル・・・」(映画「ザ・ロック」、アルカトラズ島を占拠された事件に苦悩する大統領の台詞です)
このような台詞や、他にも映画を見て覚えたものは何度も繰り返して話していました。それだけではないですが、小説も参考になりました。

それでも、いざ声を出して話す時だけはどうしても、敬語がうまく喋れない状態です。
手話に敬語はありますが、日本語の文法とは違うので、手話をしながら声で日本語を喋ると言葉に詰まってしまいます。

そこで誤解を与えてしまっていると思います。
気がついた時から気をつけるようにしていますが、前の食事会の時もまうさんやパートナーの方にも敬語で話すべきところで
うまく声に出せなかったときがありました。すみませんでした。


Mau: ちえさんすごい!そうやって外国語の映画を毎日見たら、すぐに他の言語もマスターできそうですね。
映画は、好きで見てらっしゃったと思うのですが、勉強のためという意識も中学生時分からあったのですか?

敬語についてですが、これも年上や役職的に上であっても、その人との個人的な関係、親しさ、信頼度で違いが出てくる部分だと思います。
時には年上であっても、いわゆる「ため口」でお話することもあります。適切な尊敬の気持ちが言葉に含まれているのならば、かえって敬語よりも親しさが増すこともあるような気がします。丁寧語、尊敬語、謙譲語・・・が入り組んでおかしな言葉になって口から出てくることもありますが、これは使い慣れていないからなんでしょうね。この辺は私も学ぶべきところですし、普段からきちんとした言葉遣いをしていないといざという時に出てこないのは、ちょっと恥ずかしいですね。

時には年上の人に諭されることもあります・・・「その言い方は上目線のコメントだよね」なんて言われたりして、きゅーっと縮こまることもありますが、そうやって気を付けていくのでしょうね。(もちろんそんなつもりはないのですが・・・さっきのちえさんと同じ状況ですよ、きっと)。

Chie: ありがとうございます。敬語の使い方といっても年上の人だから使うべきというわけではないけれど、使えるようにはしたいですよね。
幸い、映画好きでそれが後になって、日本語の話し言葉を知ることに役立っています。DVDを借りるのも映画館へ行くのも好きですが、実は新潟に来てからまだ一度も実現できずにいます^^;
この前の日曜日で久しぶりに日曜劇場に夢中になりました。ハリソンフォードさんのアクションにハラハラドキドキ、でも字幕を見ているとあらためて「なるほど、こういう言い方があるんだ」とジョークの意味がつかめて楽しく学習できますね。

前に、日本語字幕を見て、英語字幕に切り替えて見たことがありましたが、日本語は何となく意味がつかめるような言い方でしたが、英語では短く分かりやすいのがあって「あれ?」と思ったこともありました。

敬語についても、字幕から学ぶことが多かったです。でも、まうさんのおっしゃる通りにその人と私の関係は年齢だけではなく、信頼度も関係あるので話し方は多様だと思います。


Mau: 海外から日本に来て、暮らしている友人もやはり、日本の映画やドラマから生きた日本語を学んだと言っています。
特にドラマや映画だと、そこに漂うその言語や国独自の間の取り方や、言葉の言い回し、人との距離の取り方などを客観的に見ることができますね。

ちえさん、今度映画をご一緒しましょうね!これからの映画だと、「スラムドック・ミリオネア」が見たいです。

Chie: ぜひよろしくお願いします。ああ!インドの話でしたよね?私も見たいと思っていました。よろしくお願いします。

Mau: はいそうです。それはうれしい奇遇ですね。一緒にポップコーンをポリポリしましょうか。

Chie: おおおおお!ポリポリ!!楽しみが増えましたね♪

<本日の話題・本・映画・イベントについてのご紹介>
文字の上でクリックをすると、各詳細ページへとジャンプします。

オノマトペについて参考URL)
「R25 日本語にオノマトペが多い理由&世界のおもしろオノマトペ」
http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/110000002802

「わくわく英語フォトブック」


「くらやみの速さはどれくらい」

「13の理由」

「映画 ザ・ロック」(Chieさんの中学生時代、家族に暗唱をしていた映画)

「映画 スラムドック・ミリオネア」
http://slumdog.gyao.jp/

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今日もありがとうございます♪
朝の市場のように、新鮮な話をお届けいたしましたが、いかがでしたでしょうか?またご感想をお待ちしています。

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by machi-life | 2009-05-29 01:00 | mau+chie life

第14回(2009.05.22) “聴こえない聴者”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
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Mau:本日は特別ゲストにお越しいただいています。

Chie:「聴こえないわたし、聴こえるわたし」に続いて、「聴こえにくいわたし」が登場しています。よろしくお願いいたします。

Suguru: 私が噂?の聴こえにくい人です。お二人の生徒になった経験を持つSuguru です。

Mau: えーと、講師経験ということですか?
あっと・・・勘違いです!私たちに習った経験があるということですね。失礼しました。

Suguru:はい、そうです。私が聴こえにくい変なおっさんだからです(笑)

Mau: Suguruさーん、全国いや世界放送ですよ~!
もう少しどんな人なのか説明がないと、読んでいる人はちんぷんかんぷんですよん。

Suguru:はい、ではまじめに・・・私は喋る手話講師です。ある時はサラリーマン、ある時はお蕎麦屋さん、ある時は手話講師。こんなところでしょうか。

Mau: muy bien ! ← 私の生徒だったSuguruさんには分かるはずですが・・・?

Suguru:汗 汗 汗

Mau: 「しゃべる手話講師」というのはどういう意味ですか?

Suguru:そうですね、手話と声を同時に話す感じです。イメージできますか?

Mau: 手話の後に、少し遅れて声を出す感じでしょうか?

Suguru:いえ、基本的には、同時なんです。声と手話を同時にする時、僕の頭の中には日本語がいっぱい?あります。

Mau: 手話または日本語で相手から受信した情報に対して、自然に手話と日本語同時に対応できるということでしょうか?それってすごいことですね!

Suguru:最近、聴こえにくい人の呼び名で良いのがありました。それは、「聴こえない聴者」なんです。それを聞いた時、なるほどな~、と思いました。

Mau: なるほど~!!Suguruさんは、以前から私たちのブログを見て下さっていて、「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」だけではなく、「聴こえにくいわたし=Suguruさん」も加えて!と熱烈ラブコールをいただいてのご登場!ありがとうございます。                                                                         
私も含め、聴者のほとんどの人たちは、「ろう者は全く聴力のない方」、「難聴者」は聞き取りにくいことはあるだろうけれど、「ある程度は聴こえる人」→「聴者に近い」と認識しているのではと思います。Suguruさんが言われた、「聴こえない聴者」はそれに近いものだと考えて良いでしょうか? ちえさん、Suguruさんのお二人は思われますか?

前回の続きになってしまうようですが、ちえさん自身は、「ろう者ってどういう人ですか?」と尋ねられたときに、どう答えていますか?Suguruさんはどうでしょう?

Chie: 聴こえない聴者という言葉について、最もイメージしやすい言葉だと思います。また、最近は、 難聴者という言葉についても本当に曖昧だなぁと思います。それは、「聴こえにくいけど声で喋れる人」と、「聴こえにくくて声で喋ることも不慣れな人」がいますので、まとめて「難聴者」とは言えないと思いますし、それはろう者も同じことじゃないでしょうか。

以前までは、ろう者と難聴者の二つに分けていましたが、そればかりだと他人を否定することにつながって、やがては自分を追いつめることになると気がついてからはあまりこだわらなくなりました。ろう者はどういう人ですか?という質問は難題ですね。。。

Suguruさんどうぞ。


Suguru:「聴こえない聴者」でピンときた事は、やはり環境です。私は、聴こえにくいですが、聴こえる人と遊び、学び、そして喧嘩もしてきました。聴こえにくい私にとって、聾学校という環境は知らないので、聴者と同じだと感じます。

ろう者ってどうゆう人ですか?これは、難しいですね。現時点で答えられる事は、電話ができない人(聴こえなく、声を出しにくい人)だと思います。

聴こえにくい人とは?でしたら、説明は簡単です。まず、喋れて、自分の声は聴こえて、相手の声(音)も聴こえる人です。これって、聴こえる人と同じですよね?ただ、私の場合、声は外国語みたいに聴こえる事があります。それは予想できない話の流れになった時です。自分からは話題を出すとある程度、内容がわかりますので、話についていけます。しかし、話が外れてしまうとお手上げです。


Mau: その「聞こえる状態」は小さいときから同じですか?

Suguru:少し昔話をしましょう。小学校1年生の時です。友達にSuguruは無視する事多いよね?

聴こえる状態は以前より、聴こえなくなっています。子どもの頃、体温計の音が聴こえた時がありました。今はまったく。なので、どんな音かは覚えていますよ。ピー、ピー。こんな感じですよね?

昔話は今度しますね。


Mau: え~っ!昔話もっとお聞きしたかったのに。いけず~。
ところで、私が子供のときは、体温計は音無しのシンプルなものでした・・・(笑)

Suguru:最近仕事はいっぱいあって、、、慌てると手話も通じなくなります。ちえさんがいうには手話がボロボロ落ちてるそうです。

Chie:慌てるときはそうですが、落ち着いているときは手話が丁寧になりますね。

Mau: 対面して会話をしていても難しいこともありますが、ちえさんとは今のところ「あ・うん」の呼吸でコミュニケーション取れていると私は思っていますよ。

毎日レッスンをしていても、手話がぼろぼろ落ちる、忘れてしまうのですか?
文法的に単語が落ちるということでしょうか?

Suguru:そんな難しい事ではありません。ただの慌て者だと思います。手話を忘れるというか、頭の中が日本語だけになってると思います。

Mau: さっきのコミュニケーションのお話ですが、対面していようが、パソコンであろうが、もし分からないことがあれば「その場で聞く」ということが、お互いに信頼関係を作る源なのではと考えています。曖昧にしたまま会話を流してしまうと、話が終わってから「あれ?わたし何をこの人と話していたんだ?」となってしまう気がします。ちえさんもわたしも、それをしていないからこうやってブログも、実際はかなり時間を要するので大変ではありますが、楽しみな時間になっているのだとおもいまーす♪ 
きっとSuguruさんとChieさんもそうでしょう?

忙しいというのは、生徒さんがわんさかいらして忙しい!!ということですか?素晴らしくありがたいことです。そうでなければ、雑務でしょうか?

Suguru:なるほど、そうですね。曖昧でしたら、聞くですもんね。たぶん長年の聞き流しが出たのかもしれません。聞こえてるふり?を20年もして来ました。今は雑務の方が多いですね。

Mau: 私も南米では、スペイン語が「聞こえてるふり」「分かってるふり」を最初はしたものですが・・・そのうち見事にばれました!早くばらしちゃうと楽になりますよ~。

Suguru:はい、手話と関わってからは早くばらすように心得ています。

Mau: 今、生活が「音声」+「手話」になって・・・どうですか?世界はダブルで広がった感じですか?

Suguru:そうですね、昼間は音声、夜は手話ですね♪

Chie:私とは違う生活ですね。二つの顔を持つような感じですね(笑)

Mau: なんだか、また怪しげですね~。 
Suguruさん、手話はおいくつではじめらたのでしょう。確かろう学校のご出身ではないですよね?

Suguru:あは、難聴者→難しい人で(笑)

手話は23歳だったと思います。実は不整脈が発覚して、スポーツを控えなければならなくなったのも要因の1つです。スポーツジムが趣味でしたが、それが出来なくなり、新しいものを探していました。兄の後押しもあり、手話を始めました。


Mau: なるほど~。お兄さんも手話を話されるのですか?(←文法的に合ってますか?)

Suguru:文法的にも正解です。兄は手話に興味はありません。一時的に仕事の関係で手話を教えてほしいと言われたのですが、10分で諦めてしまいました。今思えば、教え方もイマイチだったと思います。ちなみに私の家族で手話を話す人はいません。

Mau: Suguruさんご自身はどうですか?手話にすぐに興味を持って夢中になっていった感じですか?

Suguru:私も興味はなかったです。初めは、通信のビデオを見て覚えました。それが、すぐに眠くなってしまうんですよ。けど、その時からこれしかないって思ってました。私には珍しく最後までやりました。いろんな物で興味を持つように自分をごまかしました。手話ドラマのビデオを借りてなんとか継続したのを今でも覚えています。

Mau: そうまでしても手話を覚えたかったんですね。

Suguru:ビデオですと繰り返し見れますし、覚えの悪い私にぴったりでした。ビデオ学習後に地元の手話サークルへ行きました。準備してサークルへ入ったのですが、ろう者の手話表現を読み取るのには苦戦しました。

Mau: 23歳から手話を始めて・・・「あっ!会話できる!」と思ったのはいつ頃ですか?その頃には、今Suguruさんの周りにいるたくさんのろう者&難聴者仲間たちには出会っていたのでしょうか?

Suguru:実は本当に最近ですよ。1年前にちえさんの手話講座を受講したあたりからです。その間、数えきれない程のろう者に会ってますが、時間ばかり過ぎてしまってました。とにかく1週間に3回、手話を使うろう者に会うように意識して生活してたような気がします。

Mau: おお!それは、いま手話を学んでいる人にも参考になりますね。

Suguru:そうですね、私も途中から手話を覚えたので、覚える大変さがわかります。今、ハンズの受講者で1年くらい手話を習っている学生がいます。自分の頃と比較すると凄まじいスピードで覚えています。私が3年掛かって覚えた手話はハンズなら、1年で十分・・・かな?やはり学習も必要だと思います。

Chie:1年だけでは足りず、もう少し長く学びたい方もいらっしゃいますし、手話は1年だけで簡単に身につけられる言葉ではないですので語学を学ぶ期間は個人差があるかもしれないですね。

英語とスペイン語はどうでしょうか?

手話で「どのくらいの期間で、手話ができるようになるの?」という質問を受けますが、そういうことはありますか?


Mau: そうですね、 「一年ぐらいで英語を(初心者レベルから)マスターできますか?」と言われる方は少なくありません。私は、こういう風にお答えしています。

仮にその方がケーキ屋さんだったら、「それでは明日からそちらで一から修行をさせてください。ただし週に一度しか伺えません。でも1年後には私のお店をオープンできますね!」すると、大体の方が笑いながら「それは無理です・・・そうですね、そういうことですね」と理解していただけます。

もしかしたら、週に一度のレッスンで、一年後にはペラペラになる方もいるかもしれません。
そうだとしたら、それは私が講師として優れていたというわけではなく、その方ご自身がレッスンに来ない日にも勉強や努力ををしたからだと思います。

もしその方自身に明確な語学を学ぶ目的が、レッスンを始める時点で無いのであれば、時間をかけてその方自身もが気づかなかった、もしくは忘れていた目的地まで一緒に走り続ける・・・技術的にも精神的にも、そのサポートをしていくのが私たちの役目なのではと思います。

今日はSuguruさんとも、こうやって改めてお話ができて楽しかったです。

Suguru:ぎこちないデビューで申し訳なかったです。

Mau : とんでもない!誰にでも最初はありますから。

Suguru:1年後にまたあいましょう(笑)その時は上手になってるかも!?

Mau :あはは!これからも、時々登場してくださいね。

Suguru:ありがとうございました。

Chie:ありがとうございました。

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本日は、こんな私たち3匹でお送りしました。また来週もよろしくお願いします。
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by machi-life | 2009-05-22 22:04 | mau+chie life

第13回(2009.05.15) ろう者ってだれのこと?

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
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Chie:先日のお食事会は楽しかったですね。ありがとうございました。前に「こと葉や」を訪れたとき、ふと「ろう文化」の本を見ましたが、「ろう文化」という言葉についてどんなイメージありますか?

Mau: はじめは、“日本各地にあるような、ろう者の方々独自の方言のようなものかな?”と簡単に考えていましたが、たまたま最初に手に取った本を読み進めるうちに、どうやらそんな簡単なものではないらしい、と、あせったような気持ちになりました。

私が最初に読んだ「ろう文化」という本の帯にあった“ろう者とは日本手話という、日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である”の一文はかなり衝撃的でした。今まで全く考えたことのないことでした。あれからしばらく時を経た今でも実は良く分からないでいます。本を書かれた方々にお会いして直接お話をお聞きしたいくらいです。
その後、ろう文化に関する書籍もいろいろあることが分かり、私たちが「日本文化」について、それを知らない人たちに語る際にもいろいろな切り口や考え方があるように、一言で「ろう文化」と言ってもさまざまなことにも気づきました。

正直にお伝えすると、二年前に初めてろう者である I さんに出会うまでは、自分の中に0.001%も「ろう者の人たち独自の文化」について思いをはせたことはありませんでした。

ということで、「ろう文化」についての知識と見解はほとんどありませんので「ろう文化」のことを取り上げるとなると、基本的な事柄から教えてもらう形になりそうです。

Chie: 私にとって、今でもろう文化とはこれです、と言い切れるものがない状態です。

というのは、ろう文化宣言の内容と現実がうまくかみ合っていないからだと思います。
これは私の中での話ですが、ろう文化宣言の文面をそのまま鵜呑みにすると現実とだんだんすれ違っていくような。

ろう文化宣言が出てきたことにより、「ろう者でいいんだ」というアイデンティティ確立に良い影響を受けたという人もいます。それまでは、手話も言語としてというよりは、聴こえない人が使うものと捉えられていて「手真似」という言葉も出てきたほどです。

ろう文化宣言読んでみていかがでしたか?


Mau: むずかしいかったです。

Chie: ピンと来ないような感じですか?

Mau: そこに出てくる言葉の定義をつかみきれずにいます。

でも厳しさはひしひしと伝わってきます。ここまで「はっきり」と「宣言」を出さなければいけないほどに、ろう者や難聴者の方々は、今まで取り残された?(言葉が適切ではないかもしれませんが)気持ちでいた人たちもいらっしゃる・・・という事実について、考えたことがなかったので衝撃的でした。「怒り」「いらだち」さえも感じました。

私にとっても異なる文化、世界に生きていることをあらためて感じさせられました。そして、たとえおなじ場所に生まれ、育っても、人により、物事の捉え方はさまざまで、それはろう者の人たちも同じなんだな、と。

Chie: ありがとうございます。ろう文化宣言を出さないといけないという状況が当時にはあったかもしれないと思いますが、ろう文化宣言を知っているろう者は少ないかもしれないですね。

Mau: そうなんですか。ちょっとびっくり。

Chie: 私の場合はたまたま、大学の講義で知りました。文学的な講義でしたが、そこで配布されたレジュメがろう文化宣言でした。それを読んでレポートを書くという課題がありました。

最初は「何これ?」でしたが、読んでいるうちに自分が分からなくなってきました。


Mau: 「読んでいるうちに自分が分からなくなってきた」というのは、どういうことでしょうか?

Chie: 最初に、ろう者の定義が書いてありますが、日本手話を第一言語とする少数民族というような一文があったと思います。

Mau: ありました。

Chie: 当時の自分は、声を出しながら手話をやっていました。声を出すことが一番大事という考えを持っていました。

手話に対して低く見ていました。しかし、聾学校卒業である私は「ろう者」に当てはまる一方、第一言語が手話ではなく「日本語」である私は「ろう者」に当てはまらない。

一方、難聴者の定義を見ると、インテグレーション(聴こえる人たちと一緒に学ぶ統合教育)を経験した人という定義があって、聾学校育ちの私は「難聴者」にも当てはまらない。

そこで「私って何?」と分からなくなりました。

それまでの自分は、「聾学校で、聴力が最も重いから、私はろう者なんだ」と思っていました。聾学校の中でも、聴力の良い生徒は「難聴者」と先生が言っていました。そういうことから、初めて「私は聴こえない人だけど、ろう者ではないのかな?」と向き合ってみました。

向き合う必要があったのかどうかわからないですけど(笑)


Mau: なるほど・・・。ちえさんにしか経験のできないことです。
ひらりとかわしたり、やり過ごしている人もいる中で向き合ったちえさんだから今こういう話ができるのではないでしょうか。

向きあった結果として、結論は導かれましたか?

わたしも海外で暮らしている中で、「わたしは日本人なのだろうか?」と考えることがありました。
どう考えても、誰が見ても日本人なんですけど(笑)。

本当にそうなのか?証拠は?パスポートも戸籍も、いろーんなものすべてなくしちゃったとしたら??・・・妄想は止まらなくなってしまったことをがあります。

定義上、便宜上・・・日本人なのかな???なんて思った時期もあったりして。
ぜんぶ剥ぎ取ったら、私は生き物でしかない。最後はそんなオチなんですけど。

Chie: その環境にいると、「自分って何だろうか」と思いますよね。

ろう者なのかな?っていろいろ考えました、パスポートや戸籍と同じように、手話をなくしたら私は「ろう者」なのかなって考えたりしていました。

まうさんは、そのときに、同じ日本人を見て違和感みたいなものはありませんでしたか?


Mau: ありましたね~。

Chie: あったんですね。 その辺りもう少し聞いてみたいです。

Mau: 南米に到着して、数ヶ月間日本人に誰一人会わない状況が続きました。
確か世界には日本人がたくさんどこにでも行ってるはずなのに、なぜ会わない??!と不思議でした。
同時に、スペイン語が全くできない時期でもあったので、ある意味「大人なのに赤ん坊」状態が続いていて精神的に少しまいっているような状況でした。

Chie: 大人なのに赤ん坊状態というのはどういう状態ですか?

Mau:意志を伝えたいのに、伝えられないし分からない・・・。
「言葉ができなくても、伝えたい思いがあれば大丈夫!」なんてフレーズをよく聞きますが、そういう魔法は最初のうちだけなのだと思い知らされました。

その時期は街で「アジア人」を見つけると、「日本人ですか?」と声をかけて怪しがられてました。
日本にいるときは、同じアジア人でも、ちょっと見れば「あの人は多分韓国の人」「中国の人かな?」と見当をつけられましたし、案外当たっていたものですが。世界に出てみると、これが当たらないんです。

長く南米に暮らしているうちに、自分が日本人である、ということの確信性というか、境界線のようなものが溶け出して、曖昧模糊としてくる感じです。そうしてそのうちに、他の人についても分からなくなっていったのでしょう。

Chie: 国内ではなかなか経験できないことなんですね。

Mau:あの頃を思い出してみると、例え数ヶ月でも日本語を全く話さない環境の中で、必死でスペイン語の波の中でおぼれてしまわないようにもがいた時期でした。話せない代わりに、聴けない代わりに、よーく周りにいる家族、先生、クラスメイトを観察していましたね。

でもその中で、段々と自分の中に日本人+αみたいな血液?が作られていったかもしれません。
特に、チリでは全身現地のノミに血を吸われましたから(笑)。

Chie: 全身ですか!?すごいですね。。。

Mau:そんな生活にも少し慣れた頃に、日本の人たちに「再会」しました。すると、どこか違和感といいますか、今までとは違う感情を抱きました。でもそれは当たり前のことなのかもしれませんね。

そうやって世界を、その土地の人たちと一定期間、共に暮らしながら、生きていける時間が私の人生の中にこれからもできるだけ多くあったなら・・・私はもっとニュートラルで自由な人間になれるかもしれないという希望のが生まれました。
確かに私は此処にいるのだけれど、また違う人たちの存在も感じる状況なのですが、それすらもまたどこか客観的に少し離れた場所から眺めている状態とでも言うのでしょうか。

Chie: 違う環境に入って、また別の環境にいるとき、自分自身はそのままだけれど、関わりのある人たち、近くにいる人たちから必ず影響を受けるといったところでしょうか。

なかなか深くて、私自身の今の経験値が追いつかない状態ですが、そういうことを感じ取れるんだなぁって感心しました。

ベトナムへ行ったとき、ベトナムのろう者たちに囲まれて周りを見渡せば、ベトナム手話ばかり。全然分からないくせに、がんばって手話を見ながら理解しようとしていました。

そんな状況下、お互いが通じる方法を見出していくと、日本に帰った時、手が他人の手のような違和感を持ちました。日本語としてのリズムが噛み合ない証拠かもしれないですね。


mau: ちえさんだからこそ分かる違いのように思えます。
“ベトナム手話”と言われても、軽々と想像の範囲外なのですが(笑)。
次回海外へ出かけるときには、「その土地、国独自の手話を知る」という新しい目的もできました。

今回も私たちのブログを読んでくださり、“Cám ơn (カムオン)!” 
ありがとうございました。

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<ご参考までに>

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by machi-life | 2009-05-15 22:20 | mau+chie life

第12回(2009.05.08)ライブ空間を作り出す

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。


"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 


♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Chie:連休はいかがでしたでしょうか?

Mau:おかげさまで、ゆったりと好きなことをして過ごしました。
りす園を目当てに4歳の姪たちと加茂山公園に行きましたが、ミニハイキングコースの充実した樹木の多い森林公園で気持ちがとても良かったです。全長150メートルの長いスライダーもあって、真剣に遊んできましたよ。Chieさんはいかがお過ごしになりましたか?

Chie:思い切り遊べて良かったですね、私も連休は先輩と焼き肉食べながらお話をしたり、久しぶりに家族と過ごしていました。たまにはお休みすることが大事ですね。
そういえば、最近、音楽についてろう学校ではどんなことをやっているの?という質問があったのですが、、、
想像できるところはありますか? たとえば、教え方とか、歌の覚え方の指導方法とか。
周りがどのようなイメージを持たれるか聞いてみたいです。


Mau: ええと・・・ろう学校の、音楽の授業と聞かれてすぐに想像することができません。 私たちだと幼稚園や小学校だと、主に歌を歌ったり、楽器(メロディオン、リコーダー、ハーモニカ・・・)をしたり、名曲を聴く(寝る)時間が多くあったように思います。主に音にふれ合う(?)イメージです。

ろう学校の音楽の時間は、どんなところにレッスンの主軸が置かれていたように思われますか?

Chie: 正直なところ、聾学校の音楽の先生に聞いた方が一番早いですが(笑)、今まで受けてきた音楽の授業は歌詞に合わせて声を出して読んで、そのあとに音楽を流して先生が歌うのを見ておうむ返しのように声を出して歌う練習が中心でした。
エレクトーンの音を聞いて歌いましょうと言われるのですが、聴こえない私にとっては、先生の口を見るか、聞こえの良いクラスメイトの口を見てペースを乱さないようについていくような感じで歌っていました。歌っているというよりは、物まねに必死でした(笑)


Mau: うわ~っ!あまり楽しそうに思えないのですが・・・。

Chie: そうですね、正直に言えば楽しくなかったです。楽器に触れることは、振動が響いて楽しかったのですが、歌うことについては忍耐力を鍛える訓練のようなものでした。音楽の授業では自分の歌のリズムが正確かどうか確認する術がないのに無理矢理歌わされているような感じでした。でも当時の自分にとっては声を出して周りと一緒にやるという一体感を感じ取ったかのようにとりあえずは歌っていました。

Mau: ろう学校ならではの楽器。例えば振動を感じやすい太鼓を中心に取り入れたりなどの「響き」を楽しむ工夫などは授業にはありませんでしたか?シンバルとか、鉄琴など。

Chie: それはありました。響きを楽しむ工夫として取り入れたかどうかは分からないですが、太鼓やシンバル、鉄琴、他には生徒の希望でエレキギターもありました。

吹奏楽部がやっている、オーケストラで使われるフルートは使ったことがないです。
縦笛も使ったことがなく、兄が使っているのを見てうらやましいと思ったことはあります。
フルートや縦笛は一般の学校で当たり前のように教わる楽器でしょうか。


Mau: フルートは一般的ではないと思いますが、リコーダーは一般の学校では恐らくみんながやったことがあると思います。
中学校ではギターの授業もありました。今は弾けませんけど(笑)。ちえさんが今やってみたい楽器はありますか?

Chie: ドラムとギターです。リコーダーというのは縦笛でしょうか?
ギターは大学時代に、ギターを持ち歩いている人がいたので少しだけ教えてもらいましたが、忘れてしまったのでまたやってみたいです。


Mau: 私が中学の時に学校で使用して今も持っているのは、アルトリコーダーと呼ばれるものです。
ソプラノリコーダーを使用することもありました。合奏したりする時です。

Chie: ありがとうございました。私が思っていた縦笛が、リコーダーです。

Mau: ギターの弦から振動を感じますか?となると、弦楽器ならば、ろう者の方が「聴く」ことはできなくても、演奏をして楽しむ(振動を?)ことはできるのでしょうか?

ちえさんにとって音楽とはどういうものですか?

Chie: 振動を感じることによって楽しむということですね。
聴こえなくても振動+踊りがあるとたぶん心地よく楽しめると思います。私にとっての音楽とはどういうものかといいますと、、、簡単には答えられないですが、音楽は未知の世界にあるもので、いろいろな意味で深いだろうなぁという憧れがあります。まだ音楽についてどのように捉えていいか分かっていないけど、「知りたい」という気持ちがあります。


Mau: 音楽コンサートやライブに行ったことはありますか?

Chie :この間、お客様からのお誘いでミスチルのライブに行きました。すごく迫力があってびっくりしました。
ミスチルの歌声は聴こえなく、歌詞も分からなかったのですが、それよりもファンの方々の熱い視線、熱い応援とミスチルの演奏がうまくマッチしたかのような、両方の息がぴったりと合って一つの空間を作り上げているのだと身体に伝わってきました。


演奏と演奏の間に、トークショーみたいにボーカルの桜井さんが話をする場面がいくつかありました。
話の内容は分からなくてもいいと思っていたのですが、一緒にいたお客様が覚えたての手話を使ったり、紙に書いたりと情報を伝えて下さいました。全てを知ることはできなかったですが、それでも桜井さんの話の運び方が少し見えました。
「こうやって、次の歌に持っていけるような雰囲気を、ファンと共有するんだなぁ」と感動しました。
こういうことは当たり前でしょうか?


Mau: 新体験をされたんですね~♪ 私の想像でしかありませんが、誘ってくださった方は、Chieさんに「音楽は耳だけで楽しむものではない」ってことも伝えたかったのかもしれませんね。Chieさんの見えないものを感じる能力も素晴らしいと思います。ギフトですね。

Chie: ミスチルの歌で「GIFT」がありましたね。ライブの時から考えてみたんですが、音楽というのは音を楽しむものと、一つの空間を作るものだと思いました。

Mau: そうですね。そしてひとつのコミュニケーション手段でもありそうです。
特に大きなライブならば、その場に集う人たちそれぞれが無数の異なるエネルギーを持ち合わせることになりますから、同じコンサート内容でも毎回居合わせた人たちにしか分からない空間が生まれる。それがわくわくする幸せな空間であれば、尚更どんどん共有していきたいです。
そう思うと、私たちが普段友達が家族と交わしている会話、生徒さんとのレッスン、ひとつひとつもお互いを呼応させるライブ空間ですね。

Chie:なるほど、そのようなライブ空間、今のレッスンにも同じことが言えますね。今度、キューバや南米の音楽をご紹介いただけますでしょうか?
Mauさん、踊りが上手なイメージありますので一緒に踊れたらいいですね(笑)


Mau:またまた素敵な勘違いをありがとうございます。
私が踊れるのは、わかめ踊りとチョウザメ踊りぐらいです。今度、酔っ払ったらご披露します・・・人には弱いですが、お酒には強いのであまり酔いませんけど(笑)。

Chie: ありがとうございます、その日を楽しみにしています(笑)ライブのことで、歌詞を覚えてライブに行くとさらに楽しめるかもしれないと思いました。実際に、ライブによく足を運ぶろう者の友人はいますし、音楽の楽しみ方は人それぞれであって、人間は何らかの形で音を感じることが好きなのかもしれないですね。

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

今回は連休明けでいつもより短めですが、あらためて「音」を「楽しむ」音楽について
お互いに新たな視点を知る機会になりました。みなさまにとっての「音楽」は何でしょうか?

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by machi-life | 2009-05-08 22:28 | mau+chie life

第11回(2009.05.01)  "音ってなんだ?" 

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。


"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 


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Chie: こんにちは、少し珈琲持ってきます。

Mau: こんにちは。よろしくお願いします。いま、Deaf Music♪ を聴いていましたよ。

Chie: おおっ!どういう音楽でしょうか?Deafといえば、「ろう者」ですが、ろう者の音楽でしょうか?

Mau: Evelyn Glennie さんというDeaf Percussionistです。
Evelyn Glennie HP http://www.evelyn.co.uk

Chie: 見れました、かっこいいですね!!高校時代の英語の教科書に載っていました。久しぶりに思い出しました〜。
イギリスのトップレベルの音楽学校に入学されましたよね?


Mau: !!教科書に載るぐらい有名な女性なのですね!!
海外サイトで、最も有名なDeaf musicianとして紹介されていました。グラミー賞を2回受賞されているとあります。HPの写真で使用している写真を見ると、音がすごく反響しそうな場所と楽器で演奏を行っていますね。コンサートに行ってみたいな~。

Chie: 今度日本に来た時はコンサート見に行きたいですね。

高校時代に使った英語のテキストでたまたま、「Deaf」と書いてあって賢い女性だという印象を持ちました。英語の授業ではテキストを毎回声を出して読む練習をしていましたので そのせいか、嫌でもその人の名前を覚えられるようになりました。
今聴いている音楽はどんなものでしょうか?


Mau: 民族音楽のような、力強さに溢れたリズムです。

Chie: 大音響だけれどうるさいというのではなくて、たくましさを感じさせるようなイメージでしょうか。

Mau: ちえさんの机が叩けるものであれば、タン タ タカタカ タン タ タカタカと両手を使ってリズムをとってみてください。少し早めな感じです。リズムはそんな感じ。大音響というわけではありませんが、打つ手にきちんと力がかかっていて、それが力強さを出しています。

Chie: 少し早めのテンポで叩いてみると、なるほど、イメージできました。太鼓を叩くのと似ているようなリズムだと思いましたが、太鼓のような力強さになっていますか?

Mau: そんな感じです♪

Chie: ありがとうございます。
いい音楽ですね、音楽はテレビを見るとき、お菓子を食べるときと同じような感覚で使いますか?


Mau: そうですね。ちょっと小腹が空いたからお菓子を食べようかって感じで音楽を聴くこともありますね。
今までそんな風に考えたことはありませんでしたが、言われてみればそうかな。

私の場合は、すごく集中したいときに、隔離された音を必要とするようです。
静かな図書館へわざわざミュージックプレイヤーを持っていって、聴きながら勉強をすると作業がはかどります。
1日中居ても、2,3枚を繰り返しエンドレスで聴いている状態です。実は聴いているようで、聴いていない状況をわざと作っている変な状況です。

Chie: 隔離された音というのは、その場とは全然関係のない音を聴くことによって他の音をシャットアウトするということで隔離された音を流すということですか?音楽も一つの生活行動というか、一部ですね。兄も勉強をする時は洋楽を流していました。私がおしゃべりに入ると、「音楽が聴こえないぞ」と言っていました。

Mau: 歌詞(菓子!)を味わいながら、何かをしているときもありますが、特に集中したいときは、擬似的に音があるのに無い状態を作っているのかもしれません。変てこな言い方ですが。
恐らく日常的にも、「全く何も聞こえない」と思う状況であっても、実は何らかの音を無意識に認識しているということなのでしょうね。逆に、集中したいときは音楽がかかっているとだめ!という人もいますから面白いですね。
でも常に音のシャワーを浴び続けている私たちが「聞こえない=音の無い」状況になれるものなのか疑問に思えてきました。


Chie: 電車の中でアイポットを使いながら本や単語カードを使う人を見かけますが、あれも集中できる為のものなんですね。

音楽がかかっていると集中できない人もいるというのは、個人差があるのですね。私が聴こえていたら音楽は欠かせないかもしれないです。


Mau: 電車の中は考え事をする絶好の場ですね。

いろんな人の会話を小耳に挟みながら、移動するのも楽しいものですが、勉強をする人にとっては、ちょうどいい緊張感(不特定多数の人がいる)があるので、人によっては音楽で周りの音を遮断してしまえば心地よい集中空間になると思います。

Chie: おもしろいですね。音で音を遮断することによって空間を作ることは、レッスンのときにも人によりますが、音楽を取り入れてみるのもチャレンジですね。

Mau: 私の知り合いには、防音ヘッドフォンを付けて、全く何も聴こえない状態にして集中力を高める人もいますよ。

Chie: そのときだけ、ろう者に近い状態になるんですね。

Mau: そうなんです。ただやはり、その人の中に全く音の無い状態があるのかと考えたら疑問に思えてきました。いくつか同時に存在している音の存在を1つに近い状態、限りなく無い状態にしているのかも。

ちえさんの中に、ちえさんだけの音は流れていますか?

Chie: 私の中に、私だけの音が流れているかどうか・・・あまり考えたことがないですが、途中で聴こえにくくなった先輩から「私は私の中で音を作っている」と聞いたことがあります。

音は全く聴こえないですが、夜遅くに外へ出ると「ああ、静かだなぁ」と感じることはあります。一緒にいた人はびっくりして「聴こえないのに何で??」という状態でしたが、私にとっては、うるさかったり静かだったりするのは、視覚的に捉えた上で分かるという感じです。

ヘッドホンをつけている間にとっさに話しかけられてびっくりするとか、そういうことはないでしょうか?

私の場合は空想にふけて、いきなり肩をぽんぽんと叩かれたらびっくりします。


Mau: よくありますね。思わず変なこと口走ったりして。


Chie: おもしろいですね、音を楽しむ。だから「音楽」なのですね。


音が全く聞こえないということは、日常生活の中ではありますか?

寝ている時もかすかな音があるから、完全に聴こえない経験をすることはできない、と聞いたことがあります。

聴こえにくいことはあっても、「あれ?全く聴こえないなぁ」という感覚。



Mau: うーん。全く聞こえないということは、どうかなあ?
完全に聞こえないという状況を体験したことがあるのかも定かではありません。

今は「どこにでも音がある状態」なので、たまに何が今音を出しているのか分からなくなって混乱してしまうことがあります。

例えば、デパートに行けば、同じフロア内にいろんな店がありますね。
そのどれもが別々の音楽を流しています。音の鳴る雑貨や製品も多いので、どこかで電子音が鳴っています。
携帯の着信音は、機械的な音の人もいれば、歌のかかる人もいます。私のように「鳩時計が飛び出す時の音」が鳴る人もいます(大抵周りの人はどこに鳩時計があるのかとキョロキョロします)。友達と一緒であれば、その人とのおしゃべり、店内放送、他の人々のたてる音、子供の泣き声、誰かが何かを落とす音など、最近はあまりにも煩雑すぎて、ふ~っと深呼吸することもしばしばです。音を楽しむというよりも、強制的にさまざまな音を聞かされているような感覚になることも多いですよ。Chieさんとこのブログを始めてから、今までしっかりと認識してこなかった音を意識するようになりましたね。

Chie: なるほど、本当にいろいろな音が飛び交っているのですね〜。
聴いてみたいなぁ(笑)そういう状況の中で「うるさいなぁ」と感じたことはありますか?


Mau: よくありますね~。休日のデパートにはできるだけ寄り付きたくないですね(笑)

閉じられた空間の中に、不自然な音が閉じ込められているから余計に「うるさいなあ!」と感じるんでしょうね。

野外だと、うるさいぐらいがいいですね。

ちえさんと一緒にパーカッションを演奏してみたいなあ。

Chie: いいですね〜楽器叩きたいです。エレキギターも触ったことありますが、面白いですね。体中響いて楽しいです。デパートに音楽を流すのは、お店の宣伝の一つでしょうか?

Mau: ホームセンターに行くと、一日中同じ宣伝音楽が流れていますよ。

そこでバイトしている人はおかしくなっちゃうんじゃないかと思います(笑)。

Chie: 洗脳されちゃうんですか(笑)宣伝音楽というのは、「安いですよ〜」というような決まり文句の内容ですか?

Mau: ホームセンターやディスカウントストアに多いのですが、その店独自の「キャッチフレーズを含んだ歌」があって、それが一日中店内に流れています。その中で短時間買い物をしているだけでもぐったりしてしまうのに、そこで働いている人たちは麻痺しているのか、耳栓をしているのか・・・不明です。それだけ嫌だと思っていても、お風呂に入って身も心も油断しているとふと口から出るのがその歌(ガーン!)、私もすっかり戦略にはまっている証拠です。
外国人の友達は、もしこれが自分の働く環境で起こったら会社を訴えてやると真顔で言ってました。

Chie: 経営者はそんな音楽を流しても効果が薄いと分かっているのでしょうか?不思議ですね。

Mau: その辺りは、ちえさんラッキーですね!!

Chie: おおお、そうです(笑)

お店に入る時、何となくうるさいなぁとか、ここは静かだなぁと思う時はありますが、

やはりうるさいんですね〜


Mau: 感じましたか?

Chie: 感じます。もしかしたら、電気屋さんもうるさいでしょうか。

Mau: うるさいですよ~!!

Chie: 聴力に影響はないでしょうか?あるときに店員さんが、「あれ?難聴かも?」とか。聴力が気になります。

Mau: 確かに耳を酷使する職場であると思います。

Chie: 難聴者を増やす場かもしれないですね、そこへは手話を教えた方がよいかもしれません(笑)

Mau: それはグッドアイディア!さすがちえさん!


Chie: ありがとうございます(笑)


♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

音楽が流れるように今回もあっという間に時間が過ぎてしまいました、

続きは次週にて取り上げる予定です。

良い連休をお過ごしください♪♪
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by machi-life | 2009-05-01 09:56 | mau+chie life