聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
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2009年 11月 01日 ( 1 )

第37回(2009.11.01) 『なぜ手話を学んでいますか?』

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由    
    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau“
Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

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<未知なる世界を求めて読書の旅へ>

Mau: お気に入りの本と一緒にいただく美味しいおやつとお茶の時間。 秋から冬にかけての最も好きな時間の過ごし方です。

わたしたちの共通する趣味として「旅と読書」を挙げることができそうですが、小さい時にはどんな本を読んでいましたか?

Chie: 小さいときは、推理小説を読んでいました。 といっても、 シャーロックホームズがほとんどでした。

Mau: 小学生の頃ですか?

Chie: はい、そうですね。読書はあまり好きじゃなかったですが、会話文とイラストが多かったので読みやすかったですね。

Mau: 私もコナン・ドイルや江戸川乱歩が大好きでした。
「○○のふしぎ」シリーズも夢中になりましたね~。
小さなちえさんにとって読書は楽しいものではなかったようですが、それでも読まれていたのは何か別な理由があったからですか?勉強のためとか?!

Chie: 勉強のため、といったら偉いお子様ですが、そうではないです(笑)。
本が好きな母の影響もあるし、その頃はテレビドラマを見ても(字幕が無いので)分からないから原作の本を買っていました。
会話文が多く分かりやすく、先を早く知りたいというのが、シャーロックホームズの本だったと思います。単に、「知りたい」という好奇心のためですね。

Mau: 確かに、子供のときには何もかもが初めてで予測不可能でした。実際に大冒険をすることはできませんでしたが、本の中でならどこまでも冒険は続けられましたものね。 「知らない世界についてもっと知りたい」というのは子供の本能かもしれません。

Chie: 赤ちゃんでも子どもでも、身の回りにある者は何でも触ってみて、何かを知るのと同じように「知りたい」という本能が読書への行動につながったかもしれませんね。

Mau: 図書館や書店に行くと自分がいま何を求めているのかはっきりと分かる気がします。いつの間にかその時に関心を持っている本が置かれてある書架の前にいるからも不思議です。
今大人になって興味を持たれているのはどのような分野の本でしょうか?

Chie: 自分がいま、何を求めているか分かるというの、すごく分かりますね。
たいてい、本屋さんの入口においてあるベストセラーは、見てもピンと来ないものがほとんどですが、求めているものは不思議とピンときますね。
ジャンルについて最近はこだわっていないですが、言語、ビジネス、あとは・・・何だろう。。。最近は「悩む力」も読みました。著者は、カン サンジュさんです。。

悩む力 (集英社新書 444C)

姜 尚中 / 集英社



Mau: 日曜美術館の司会のカンさんですね。

Chie: 最近テレビを見れていないですが、司会もやっているのですね。

Mau: 最近よくメディアに登場しますね。先日もNHKのとある番組内でカンさんの人生に影響を与えた一冊は、夏目漱石の「こころ」だと言われていました。
少し意外な気がしました。けれどカンさんが韓国人と日本人の狭間で揺れ動いていた思春期に出会った本とお聞きして納得できるような気がしました。ちょっと横道に逸れますが、今は携帯でTVを見ようとすると字幕が出て便利ですね。番組に気になる人が出てきたときなど、ちょっとしたメモ代わりに簡単に録画できるのも便利です。

Chie: ワンセグですね。一度だけ使ってみたことがあります。そういわれてみれば、ワンセグを使っているろう者をあまり見ないような。 「悩む力」には、「こころ」のことばかり載っていました。高校時代に宿題で、 「こころ」を読まされました。読まされたということもあってか、当時はイライラしてしまいました。
テンポがおそ〜〜くて(笑).

今回、カンさんが人生に大きな影響を与えたというのでもう一度「こころ」に挑戦してみようかなとすこ〜しだけ思いました。 それに、もう一人、マックス・ウェーバーという人からも多大な影響を受けたそうです。ウェーバーの名前は、大学の講義で出てきていましたので「悩む力」を読んだとき、小さな感動を覚えました。「あ〜知っている!」みたいな。

<本だけでは分からない世界 ・・・ >

Mau: 少し前までは、ろう者や難聴の方が書かれた本を探して歩いては読みました。最初のうちは、急に沢山の情報や考え方などが頭に入ってきて混乱してしまいました。

Chie: どんな風に混乱しましたか?

Mau: 初めのうちは何でも受け入れようという心構えで、そのような本を読みました。ろう者の考えや生活などを「そうかそうか」と思って一冊の本を読み終えたら、次の本では全く別、あるいは逆のことが書かれていて、聴こえる立場として、ろうをどう捉え、考えたら良いのか迷って分からなくなってしまったのです。

最近になってようやく本からの情報量と実際にちえさんたちからお聞きする新鮮な情報とのバランスが取れてきたように感じてはいるのですが何も知らない「現代に生きる大人の私」は、まずは本やネットから情報収集をしようとします。

いろいろと“知った”うえで、自分の考えを出してみようかという想いからなのですが、それがいきすぎるとネットや本の中で語る人たちの顔が不在のまま、言葉だけに振り回されることがあります。 もちろんみなさん一つのことに対して異なる意見を持つことは極めて普通のことですが、わたしにはなぜここまで意見が対立(私にはそう思えました)するのかその時は想像がつきませんでした。これは表面からはうかがい知ることのできない深いものが横たわっているのではないかということに気付いたのは、かなり時間が経ってからのことです。

Chie 社会学や言語学を読んでいて(まだ少しかじったくらいですが)、考え方、見方が必ずしも一緒ではないので「普通」と思っていました。しかし、もしかしたら、手話の世界は独特のものがあるのかもしれません。
今はどんな風に受け止めていますか? (本を読んで、私からの話や現実を見てみて、その釣り合いというか、率直な感想を聞いてみたいです)

Mau: 確かに物事一つ取ってもさまざまな意見が出てくることは日常的に理解しているつもりですが、「手話」、「ろう」、「難聴」 ・・・の世界については、そうは思えませんでした。

なぜ違ったのかというと、どこかでろう者に対して画一的なイメージを持っていたからです。今も全く無いのか?と言われると正直に言って分かりません。何年か前までは、実際にろうの方と出会ったこともなく、関心を持って考えたこともなかったとはいえ、かなり勝手な思い込み基準ができあがっていたことは否めません。

手話と言えば、ろう者。ろう者といえば手話。
そうどこかで思っていましたので、聴者が手話を学ぶ手話サークル活動に対して、否定的な見方が本の中に出てきたときには驚きました。

効率的な英会話力を得る方法について書かれている語学の本の中には、「このようなスクールでは上達は望めない。行くのはお金と時間の無駄遣いです」といった項目が出てくることがありますが、それに対してではどうすればいいのかという答えが用意されています。例えば、どう学んでいくことが近道でゴール(語学の習得⇒留学、仕事に活かす ⇒ “自分のため”)することができるのかといった展開になることが多いです。

しかしその辺りの目標や目的といわれるものが、手話サークルの中では非常に曖昧であり、聴者とろう者が同じ「手話」を通じて時間を共有しているものの、目的としていることや、そもそものスタート地点が全く別なところにあるような気がしてます。

聴者は、手話=福祉。ろう者は、手話=生活、必要な言語
「手話を学ぶのは、聴こえる私のためではなく、聴こえないあなたのために学んであげているのです」

「手話習っているの?」「すごい、偉いわね」と言われることに対して違和感を覚えるようになったのはいつ頃からだろうか?と考えます。私はバリアなどないつもりでいましたが、どこかにそういう気持ちが隠れているのではないかと思わされることがあります。これは私にとって、ちえさんと向き合っていく過程の中では避けて通れない必要なものだと今は理解をして、なぜそういう気持ちになるのかを考えてみることにしています。

圧倒的に話者の少ない手話を、きちんと伝わる方法で学び、趣味のレベルではなく「お互いが」生活を送る上で必要な言語として手話を捉えていくこと。 今は両者の違いはまだまだ大きく開いている気がします。
将来耳が遠くなって・・・とか、何か事故で聴力が落ちてしまう可能性は誰にでもありますが、それを自分のこととして想像をして、「自らのこととして」勉強をしている人がどれだけいるのか分かりません。

<まずは気軽に、知ることから始めてみたい>

2年前の11月3日に、私にとってはじめて言葉をかわした(?)、ろう者である Iさんに出会いました。 そしてその夜には、私は本屋で、ろうに関する本を探していました。ところが手話の本さえどこにあるのか分からず・・・四方八方に手を伸ばしながら私の検索が始まりました。Iさんに直接メールを出して聞こう!ということは思いませんでした。まるで何も知らないのに質問をするのは失礼な気がしたからです。

そのときに本屋で購入した本が、「ろう文化」でした。

ろう文化

青土社



勢いで購入したものの、いきなりむずかしい高い本を買ってしまったなぁ・・・と家に帰ってから思いました。正直にいうと何について話しているのか、さっぱりわからなかったのです。まず本の中の専門用語がちんぷんかんぷんでした。

Chie: ろう者や手話のことを知るのに、一番最初に手に取ったのがろう文化だったのですね。入口として、私にとってはどっちでもよいことですし、本人にとってのセンサーは人によって異なりますよね。
ろう文化という本をとったまうさんの行動は例えば、フィンランド人について知りたいと思ったときにフィンランド人の文化という本を真っ先にとるのと同じくらいの感覚ですね。観光ガイドよりもそっちの方に惹かれるという。

Mau: それしか本屋さんになかったんですよ~(笑)。
頭がIさんとの衝撃的な出会いでパニックになっていたので、何でもいいから家に持ち帰ってじっくり目を通したいという気持ちが先でした。

Chie: それしかなかったんですね(笑)。でも、とにかく知りたい!という好奇心が勝って手に取ったというのは運命的ですね。

Mau: そう思います。
翌日は、図書館で「日本手話とろう文化」を借りました。
当時の私には内容の一つ一つが衝撃的なもので、読めば読むほど怖くなりました。

日本手話とろう文化―ろう者はストレンジャー

木村 晴美 / 生活書院



Chie: どんな風に怖くなりましたか?

Mau: わたしが知らなくて、考えてこなかったことに対して、木村さんがプロとして行動し、発信し、議論してきた事柄について、知らなかったとは言え、わたしを含む、聴者の無意識な悪意とでも言ったら良いのでしょうか・・・そこを指摘されたことに対してと言っていいと思います。木村さんが向き合ってきた手話やろう世界に対して何も知らない、知ろうともしなかった時間の長さに対しての恐怖でもあったと思います。

Chie: 未知の怖さということですね。 ただ、木村さんの書いていることをすべてのろう者が思っているとは限らないです。しかし、何も知らない読者にしてみれば「ろう者とはこういう考え方なのか」という受け止め方になるのも無理は無いですね。オバマ大統領の発言だけで「黒人全体がそう言っている」と受け止めていたとしたら、ろう者も同じように「木村さんの言うことはろう者全体のことを言っている」となりますね。

Mau: まったくおっしゃるとおりです。
私もあれから本を開いていないのですが、2年間経って今どう「ろう文化」や「日本手話とろう文化」を理解するのか知りたいですね。

<ろう者であることを求められる>

Chie: その本が出た頃、当時の自分は、変な自信を持っていました。ろう者であることが誇りであるかのように。周囲からろう者であることを求められている気がして常にろう者でなければいけないと意識していました。
自分自身も、そこに快感を覚えていました。ろう者として代表者になったような気分。

ちょうどそのときに木村さんの意見を鵜呑みにして、家族に読ませたんですね。でも家族は「だから何?」「共感できない」と反応が薄かったので、軽いショックを覚えました。
最近また木村さんの本を読んでみました。
そうしたら、おもしろいことに今の自分が当時の家族と同じような反応になっていました。「だから何?」「え?そうなの?」って一人で突っ込んでいました。

確かに聴こえる人たちの無意識の行動がろう者にとって迷惑なものになることもありますが、聴こえる側からにしてみれば、普通のこと、日常生活の中で行っているだけにすぎないことなんじゃないか、って思うようになりました。そこから、ろう者を理解するためにはまず聴こえる人の生活、聴こえる人の考え方を知ることから始まると思っています 。

Mau: 「ろう者であることを求められている気がして常にろう者でなければいけないと意識していた」という言葉・・・胸にどきっときました。
ちえさんのご家族の反応は、それをまったく意識せずにちえさんをちえさんとして見ているから出た自然なものに思えます。

Chie: ろう者でなければいけないというのは、手話サークル、前の職場において周囲が「ろう者としてどう思う?」と意見を求めていたことに慣れすぎてしまったんです。
快感を覚えていた一方で、だんだん自分を苦しめていたようです。

そういう意味で、まうさんがおっしゃるとおりに家族の反応が、普通なのですよね。以前の私だったら、声は全く出さん!と言わんばかりに相手に要求していました。
今も時折使いますが、そんな気迫のあるような行動は恥ずかしいですね。今は控えめです。

Mau: 全く声をださずに、手話だけで通すということでしょうか?
ひゃ~!その時のちえさんのままだったら、わたし逃げ出しちゃいます!

Chie: そうですね。大学時代の私は変な意地もあって「ろう者と話したいのなら声は出さん」という感じでした。会話のときに全く声は出しません。
ろうの同級生が、聴こえる人たちを相手に声を出して話しているのを見ておもしろくなかったかもしれませんね。結果的に新入生たちは逃げましたが、逃げる方が悪いと思っていました。泣き出した人もいました(苦笑)
手話を覚えたいのなら、私に挑戦せよみたいな(笑)。

今思えば、馬鹿でした。でもこれは、聴こえる人たち同士が声だけで話されている空間にうまく入り込めない苛立ちから来ていて、その感情をどこにぶつけたらよいか分からなかったです。
「サークルの時間はたったの2時間。その短い時間内で聴こえないことを体験してみなさい」という気持ちでいました。ちょうど、その頃に木村さんの話や、ろう文化の話に触れたとき、簡単に疑いもせずに鵜呑みしました。その結果で、友人の何人かが離れていきました。最大の代償ですね。

Mau: 今のちえさんからは想像のつかない女番長時代ですね(笑)。

私はいつもちえさんに適当な創作手話を使ってなおしていただいています。
声も出してもらうこともありますね。でもそういうときに、「もうしわけない・・・」と”ちょっぴり”感じています。

でもその「かたじけない!」という思いが、「次回はもっと手話を学んで出直します!」という情熱の源になっていることは確かです。わたしがちえさんの理解力に甘えさせてもらっているということもあるのですが、大人になってそれぞれが相手の立場に立ってコミュニケーション手段を使い分けたりすることは、聴こえる人同士でもあります。もちろん、ろうの人たち同士でもあるのではないかしら?と想像しています。

二年前はすべてのろう者が手話を使えると思って疑いませんでしたが、そうではないことも今は知りました。短い経験を通して分かったことは、少なくともちえさんと手ごたえのある会話のキャッチボールをするには、私が手話の技術を身に付ける必要があるのだと感じています。完璧は無理かもしれません。でもお互いがさまざまな方法を駆使すれば十分では無いかもしれませんが楽しく充実したお話ができることも知りました。

Chie: ありがとうございます。ろう者同士でも、相手によってコミュニケーション方法を使い分けていることはあります(人によっては、それができない人もいます)ね。それをろう者は、コードスィッチングという、 響きの良い言葉を使いながら、聴者よりも優れているというようなニュアンスで示すことがあります。

Mau: 面白いですね~。

Chie: でもそれは聴者同士でも同じことなので、私から見れば「だから何?」って思いますし、ろう者でもあまり上手にできない人はいるので結局変わりはないんじゃない?
ということですが、聴こえないことによって生じる社会的不利という視点は別問題として、きちんと考えていくべきことと思っています。

聴こえることと聴こえないこと、生理的、身体的に異なるこの現実は、文化だけでは片付けられない複雑なものが絡み合っています。
文化といえば、かっこよく映る一方、根本的な問題を直視しなくなる可能性もあります。
ここではせめて、文化やろう者という言葉だけで片付けはせず、しっかり向き合っていきたいと思っています。
その辺りは、ぜひとも聴こえるまうさん、聴こえないちえとして、今後向き合いたいと思います。
そして、微力ながら、聴こえることと聴こえないことの相違、生理的、身体的に異なることによって生じる現実に向き合うことが、聴こえない子どもたちには必ず、希望を与えることになると信じています。

特に昔の私は、周りに同じ立場でロールモデルがあまりいなかったこともあり、将来像がうまく描けない立場にいました。果たしたい夢は持っていても、 必ずぶつかるのは聴こえないことによって生じる現実です。今も恐れすぎているかもしれません。
その現実と向き合ってきた、ろうの大人と話をすることは将来像を描くことにつながり、具体性は欠けていても、必ず人生の糧になるのではないかと思っています。

と、なが〜〜〜い理想論になってしまいましたが、
まうさんの手話については、手話レッスンをすすめたいところですが、ここでは別として、向き合うことの意味、向き合う立場としてもちろん、私も声を全く出さない訳にはいきませんが、もっとお互いがスムーズにお話ができる方法は必ずあるのです。
その方法に私たちが辿り着くには、あとどれくらいか、時間はかかるのか、分かりませんが、そのプロセスも楽しめたら良いですよね?

Mau: 賛成で~す!
ちえさんの熱意に押されたのか・・・すぐ言葉が出てきません・・・あわわ。
「ろう者」の方々の世界を知り始めて若干2年生ということでお許しください(ちょっとびびってます)。
分かったようにコメントすることはできるだけ避けたいなあと思っています。いましばらくゆっくり宿題として私にも考えさせてくださいね。

Chie: いえいえ、ちょうど良いと思っています。
逆に手話の世界を知りすぎている人との話は偏りも出やすいので今のまうさんの立場からの話、どのように感じているのかを聞けたらと思っています。
そういった意味では、まうさんは読者に一番近い存在です。
聴こえることだけでなく、手話のこと、ろう者のことをこれから知っていくという意味もあり、ブログにおいて重要な存在です。むしろ、読者は共感もしくは案内人のように見るかもしれないですね。

Mau: そう言っていただいて・・・ありがとうございます。
自然体でこれからもいきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
知ったかぶりはすぐばれますのでやめときますっ!!

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<ろう者や難聴者の世界を想像する上で参考にした本 (mau編)>

耳の聞こえないお医者さん、今日も大忙し

フィリップ ザゾヴ / 草思社



星の音が聴こえますか

松森 果林 / 筑摩書店



驚きの手話「パ」「ポ」翻訳―翻訳で変わる日本語と手話の関係

坂田 加代子 / 星湖舎



「ろう文化」案内

キャロル・パッデン / 晶文社



わが指のオーケストラ (1) (秋田文庫)

山本 おさむ / 秋田書店


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by machi-life | 2009-11-01 14:37 | mau+chie life