聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
by machi-life
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第36回(2009.10.25) 「当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないとき」

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由    
    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

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風呂の中での読書

Chie:食欲の秋・・・ではなくて、読書の秋になりました。お風呂で読書はしますか?そういえば、お風呂に入るときは全身浴より半身浴が良いみたいですね。

Mau: 鍼の先生に勧められて半身浴をしています。全身で浸かるよりも温まる気がします。その時に本を持ち込んでいます。

Chie: ビニール袋をかけていますか?

Mau:あらかじめタオルを何枚か重ねておいておいて、手をふきながら本を読んでいます。ちえさんはどうですか?

Chie: 本は風呂場には持ち込まないですが、どうやって持ち込んだら良いか考えたことがありました。マンガを風呂で読む友人がいますが、彼女はそのままお風呂場へ持っていくとのこと。ちょっと踏みとどまりました、そして、そのまま実行せず(笑)。

Mau: 寝ぼけて高校時代、現国の教科書を風呂の中に落として、一年間しわしわのものを使った思い出があります。換気扇をまわしておいたり、窓があれば少し開けておくとかなり違うと思います。

Chie: なるほど〜換気扇を回す方法でしたね!
濡れても良い本からスタートしてみようかな。


Mau: 私も「風呂用」の本を持ち込んでいます。短編集やエッセイみたいなものが多いですね。

Chie: 読んでいて眠くならないものが良いですね。 最近おすすめのエッセイありますか?
Mau: エッセイだと、松浦弥太郎さんの本でしょうか。これは大事にしていて、持ち込めないのですが。


Chie: どんな人でしょうか?


Mau: 暮らしの手帖という雑誌をご存じですか?丁寧に衣食住を行う大切さ、日本人らしさをさらりと気付かせてくれる雑誌です。その本の編集長です。確か・・・随分と長い間海外を放浪していて、そのときに出会った古本で移動式本屋からスタートした方ですね

Chie: 暮しの手帖、確か母が読んだことあったと思います。編集長なのですね。あ!読みたくなりましたね。

Mau: その本屋はCow Booksといいます。私も何度か遭遇しました。東京駅にも小さいCowBooksがありました。

Chie: 見てみたいですね.いま、アマゾンで検索したら何冊かありました。

Mau: 小さな幸せを見つける達人ですね。

Chie: もしかして、「今日もていねいに」、という本でしょうか?

Mau: そうで~す!

Chie: いいですね!アマゾンで目次を見てみたのですが、以前に立ち読みで購入を迷った本でした(笑)偶然ですね!


Mau: 私もしばらく立ち読みしていましたが、何度か立ち読みして買いました(もっと早く買って!とお店の人は思っていたに違いありません)。

Chie: 何らかのご縁と感じましたので買ってみます〜。ホームページもかわいいですね、牛さん。兄から「牛みたいだ」と言われたことがあるので、牛には愛着があるのです(笑)。


Mau: あはは!ぜひ!


聴こえない人の生活



Mau:さて、今回は「聴こえない人の生活について」というテーマをいただきました。どうしてちえさんはこのテーマについて話してみようと思われましたか?

Chie: 最近、小学校や専門学校の講師依頼がくるようになりました。聴こえない人の生活について全然イメージができないと言われるので、なぜイメージができないのか、どんな風に見られているのかなとか気になっていました。

過去に、小学校や中学校、大学の講演も行ったことがありますが、ずっと自分の中で違和感を持ちつつ、先輩や通訳者さんの意見に従って話をしてきたことがあります。 聴こえない人は手話だけでなく、筆談で話ができるので筆談でも大丈夫ですよ、という内容です。

何だか違うなぁと思いながらずっとやっていました。

でも、最近は手話を使うことについて意識した方が良いと思うようになりました(仕事柄ですね)。


障害者という悲観的な見方からポジティブに、人間的に見てもらえるような話として進めていく。もっと話を掘り下げて、より聴こえる人たちに近づきながら、イメージしやすいよう話をしてみたいのでその前に聴こえる人が思う、思い描いている、思い込んでいる、聴こえない人の生活のイメージがどんなものなのか聞いてみたいと思いました。


Mau: なるほど・・・ちえさんのこれからの活動の場を広げていくであろう依頼が相次いでいらっしゃるというわけですね。

これはいろんな方にちえさんの伝えたいメッセージを伝えていくチャンスですね。

ちえさんの立ち位置としては、「筆談」や「口話」もコミュニケーション手段としてあるのだけれど、やはり同時進行で話のできる「手話」の必要性を知ってもらうということに柱を置くことになるのでしょうか?


コミュニケーションとしての手話



Chie: そうなりますね。また別の視点として、聴こえる人同士でも手話を覚えれば老後に役立ちます。
耳が遠くなったときにどうしてもガミガミ言われてしまうような状況はなくなりますし、 おじいさんおばあさんが仲良く話ができる一歩にもなるんじゃないかな。

聴こえない人だけに限らず、聴こえる人同士でも使える手話として身近に感じてもらえばという感じですね。
障害者が使うものと限定されるのはあまり好きじゃないので筆談、口話も使える立場ですが、
こう言うと、「じゃあ、最初から手話は要らないじゃないの?」という誤解になりますし、
最初から筆談で対応されると何だかなぁという複雑なところはあります。

また、筆談しながら途中で声だけで、誰かと話すことは、コミュニケーションを拒否されたような受け止め方になることもあります。


Mau: 以前のブログでも取り上げましたが、「手話」で対話をすることの意味や重要性がちえさんとのブログを通して変わってきました。

でも依然、手話=ろう者の人たちが使う言語、又は手話を習うこと=ボランティアという聴者の常識や漠然としたろう者の世界に対するイメージを払拭していくには時間をかけてその人が「なぜちえさんたちが手話で会話がしたいと思うのかが分かった!そういうことなら少し始めてみようか。」と納得してもらえるまで働きかけ続けることが必要な気がします。

何週間か前に、地区の公共の場所をまわって、現在私が地域の学生さんたちと行っている手話教室を、せっかく地元の商店街で行っているのだから、より多くの、さまざまな年代の人と「地域で使える手話」をキーワードに展開していきたいのですが、ぜひご一緒にいかがでしょうか?とまあ、いきなり飛び込みでお伺いしてみました。10月で活動も一年を迎えて、もっと地域の中での可能性を探りたかったので反応を知りたかったということもあります。もちろん、私たちの手話教室はちえさんたちが行われている本格的な指導があるわけではありませんが、そこへつながるための入口の一つになればという思いで行っています。まだまだ参加者は少ないのですが、これからも近所の方に気軽に足を運んでもらえる場にしていきたいと思っています。

Chie:手話=自分には関係ないもの、という意識は強く根ざしているかもしれませんね。

Mau: そうですね。現状としてはお声掛けさせていただくほとんどの方が「手話は必要はないし、これからも恐らく必要ない」と言われます。筆談もあるからという理由も良く聞かれます。お年寄りになると、めんどうだね~とか、指が動きませんて・・・と近所の方に言われたこともあります。それも意見の一つですから、無理にというわけにはいきませんが、どこかまだ適材適所というか、手話を必要としている人のいるところへ行きついていない気もしています。

Chie: 手話を観たことがない、手話に直接触れたことが無いというのが大きいかもしれません。
そういう意味では大学生、若い社会人の方が広まりやすいと思います。


Mau: 私もそう思います。

Chie: 資格にもつながりますよね。手話技能検定試験とか。
ろう者がもっとオープンになれたらと思うのでまずは自分から始めなきゃ〜と思うところでございます。



一つのものがなくなると同時にもう一つのものを手にする


Mau: いま手話の活動を手伝って下さる地域の学生さんたちは、就職に有利ということで手話検定を受ける方もいるようです。

少し話が逸れますが、いまお世話になっている鍼の先生は、目の見えない方です。その方は患者との情報の交換手段として大切な言葉にとても敏感です。また記憶力も抜群で私が曖昧なことを言うとすぐに突っ込まれてしまいます。トンカチみたいなものでトントン体を触診するのですが、思わずドキーンとするようなことを言われて、あたふたすることもあります。

Chie: 他の感覚が優れているのですね。一つの機能がなくなると、他の機能が発達するといわれていますね。この前、聴こえる人たちと居酒屋へ行ったとき、「今、音楽流れているね」と話したらびっくりされてしまいました。机に手を当てていれば分かると話しましたが、「あまり分からない」とのことでした。これも鍼の先生と似ているかと思います。しかし、そのせいで振動に敏感なため、大学で授業を受けたときは全然落ち着かなかったです。聾学校と違って、他の学生と同じ机を使っていたので鉛筆の音や携帯のバイブ音等いろいろ響いてきました。

Mau:鍼の先生は目が見えないということで、やはりどこかでつらいこともあるだろうな、不便だろうなと思うことがあります。先生にとっては余計なお世話だと思いますが、そういう感情を持つこともまた当然のことだと考えています。

同時に、先生が「見えない」ということで、自分の「見える」に向きあわせてもらっています。

私は見えるはずなのに見えていない、気づいていないことがたくさんあることも先生の所へ行くと気付かされます。

例えば、「頭痛が起きる時はどんな時ですか?時間帯は?右、左?それは表面的に痛むの?それとも奥の方?」肩こりにしても、「右と左とどのくらい痛みますか?」と聞かれるのですが、そのつど私の答えは曖昧です。何となく見えている、聴こえてる状況にいかに甘えていることか。

先生にはそのつど、「何にもわからないんだな~!」と大声で笑われてしまいます。

聴こえる、聴こえないに関わらず、その人にとっては当たり前であり、問題として感じていないことに対して「大変だね」「つらいでしょ」「かわいそうに」と言われたり思われたりすることはありませんか?

「かわいそう」と言われることによって、そうか私はかわいそうなのかと初めて気付くこともあります。

「自分の標準」で感じる想い発する言葉を止めることはとても難しいことだと思いますが、そんなときにどうしてそう思うのかを考えてみることにしています。ちえさんにはこのブログを通して、時にかなり失礼なことを意識して言ったり、無意識に言ってちえさんの気持ちを困惑させてしまうことも過去にあったのではと思っています。


誰かにとっての当たり前は、他の人には当たり前にならず・・・それもまた正しいことなのかもしれない!?

言いにくいこと、聞きにくいことでも礼儀を持って聞きあうことで自分が標準としている幅をもっと広げていければと願っています。


Chie: 結局のところ、一般常識も変わっていくものなんですよね。常識は覆されるものかもしれません。
記録は破られるためにあるのと同じように、覆されるために常識があるのかも。



常識は誰のために?


Mau: 常識ってなんでしょう?あまり意識をして考えたことがないような気がします。

Chie:「聴こえない人、目が見えない人=かわいそうな人」から、ポジティブな見方に変えることは時間がかかってもできると考えています。まうさんがおっしゃるように、気にならなくなるのが一番良いですし。誰かにとっての当たり前は、他の人には当たり前にはならず、というのは、国内の常識が、海外では通用しないのと同じですね。なので、常識にとらわれず、自分の「目」で見れる人が増えていくと手話に対する受け入れもスムーズだと思います。


Mau: そうですね、近所に住む人が挨拶をしてくれない人がいて、周りの人は変わり者だと思っていたようですが、私は耳が遠いのだと思って近くまで行って挨拶をしました。そうしたら「聴こえてるよ」と(笑)。それからはしてくれるようになりましたが、ほとんど無視の日もあります。そんな人もいるんだな、面白いなと。

Chie: いろんな人がいますね。


Mau: 挨拶はもちろんお互いに交わした方が気持はいいものですが、それはこっちの都合でもあります。したからしてよという関係になると窮屈になってしまう気もします。する日もあるし、しない日はどうしたのかな?と思ったり、そういう人なのだなと、私の常識から外れると面白かったり、時には寂しくなったり。でもいろんな人がいてバランスが良いと思っています。

そう構えてしまうとあまり怒ることもなくなる気がします。違いを不思議に思うことはありますが。近所も世界も一緒ですね。

話題が少しずれてしまいましたが、理想とするのは、例えば「ちえさん」がいて、そして次にろう者であるということです。

手話ができるようになることはもちろんですが、足りないところは他のやり方でつながれたら嬉しいです。あまりお互いにプレッシャーをかけずに、まずは人として、言葉だけではなく感じる気持ちでこれからも同じものを見て、違うことを感じていけたらうれしいです。

最初は「ろう者」ということで興味を持って近づいてくる人もいると思います。でもそういう人が、きちんと話を聞いて理解をしてくれたら心強い味方になってくれるんじゃないかって思います。理想論かもしれませんが。

Chie: 実現不可能ではないと思います。 時間はかかっても。
興味を持って近づく人を増やすことですね。 亀さんのような歩みになっても、
お互いがお互いの魅力に気がつくことはできると思いますし、新潟に来てから聴こえる人に対する抵抗は少しずつ減っているし、興味も持っています。


Mau: そう思います。ジャッジしようとせずに、その人全体が見れるといいですね。私もそう見てもらえるように自分のいろんな部分を出しているつもりです。

Chie: せっかくこの世に生まれてきた以上、いろいろな人の物語を知りたいですね。
すべてではなくて一部でも、その人が何を考えてどう生きているかを知ることは好きですし、それを知ることができなくても、その人の醸し出す雰囲気の中に自分も一緒に共有できたら 面白いですよね。



Mau: そう思います!どこにいても学ぶべきこと、面白いことだらけです。それを発見することのできるアンテナはいつもどこへでも持っていきたいです。たとえそれが自分にとって好ましくないことだとしても・・・私の日々はがびーんの連続です。




自分にとっての「当たり前」が他の人にとって「当たり前じゃない」ことは、日常の中にあふれています。100人いれば100通りの生き方があり、100通りの考え方があります。どれも100%一致することなく、必ずそれぞれの価値観があり、それを通り越してお互いが認め合える社会となれるよう日々を過ごしていきたいですね。



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by machi-life | 2009-10-25 22:57
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