聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
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第20回 (2009.7.03) “ ろう者の大学生活 ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

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聴こえない人にとって・手話によるコミュニケーション・音声言語によるコミュニケーション

Chie:聴こえない人は手話によるコミュニケーションは可能であっても、音声日本語による会話ができないこと(書き言葉でも文章力がないことによって十分な意思疎通が困難)によって仕事ができないと思われるケースをよく聞きます。

例えば、仕事中に聴こえる人たちが声だけで会話をしたとき、仕事に関する情報があったとします。でも聴こえない人はその会話の中身が分からないだけでなく、会話していること自体気がつかないときもあります。

そこでいつの間にか、話が決まっていたら聴こえない人の立場はなくなりますよね。

そういった現状を聞いたことはありますし、聾学校の同級生も「日本語がうまく書けないから誤解されてしまう」と悩んでいました。

聴こえない私は小説やエッセイ、雑誌等を読み、インターネット、新聞で日本語に触れていますが、自分の言葉として意思表示ができる言葉が見つからないときもあります。


(前回19回のブログ参照新聞にある聴覚障害者の誤用例文、 「作成した 直る お願いします」。

手話の単語だけを見たら語順の間違いはないです。だからといって手話に助詞の役割がないのかといったら、間違いです。

手の動き以外に、動いている部分が助詞の役割を果たしています。表情ではなく、手話は空間と顔の動かし方、手話言語学でいえば、非手指動作を使って区別しています。


日本語は助詞を使って区別しますね。

・ 彼は彼女に渡した。

・ 彼に彼女が本を渡した。

・ 彼が彼女に本を渡した。

手話なら空間の使用によって意味が変わってきます。


Mau:日本語と手話。改めて別の言語であることがわかりましたが、手話と日本語が入り混じって頭の中は忙しそうですね。

Chie:手話だったら表せる、でも日本語だと自分の頭の中には言葉がない、という人もいます。

例えば、「あの人とは仕事はできるけど、プライベートではあまり話したくないかな。嫌いってわけではないけど。」ということについて、手話でしたら非手指動作(手と指以外の動き)等の文法で、ニュアンスが伝わります。

しかし、「〜わけではない」、「〜かな」という微妙な意思表示について表現できる日本語を持ち合わせていない時、「嫌い」の単語だけで終わるときがあります。本人はそこまで「嫌い」というつもりではなくても、その気持ちにフィットする単語が見つからない故、1つだけになってしまう。
 

同級生の中に、明るくていつも元気な彼女がいました、でも会社に入ってからは「昼休みは毎日一人で食べている」と聞きました。

理由を聞いてみると、聴こえる人ばかりだからどうやって話せば良いのか分からないとのこと。

周りの人から見れば、一人で食べている様子からにして、あの人は心が狭いとか、つまらないとか誤解しやすくなりますね。

手話があるから、自分の言いたいことが言える。日本語ができなくて困っているアメリカ人が、同じアメリカ人とバッタリ会って英語でしゃべるのと同じだと思います。


日本語の概念について

Chie: 聾学校の教育方法は口の形を見ることから始めます。

話されていることは分からないですが、口の形は少しずつ分かります(それでも分からない人もいますが)。

しかし一方で、口の形に集中するため、概念が育たなくなります。


読み取れたのは良いけど、そこから日本語として意味を理解する作業に入らないとついていけなくなりますね。 概念は、私にとってはすごく曖昧だったように思います。
家に帰って母に「これはどういう意味(の言葉)?」と聞いていたように思います。

コミュニケーションはできても、日本語の文章が書けない同級生がいました。
卒業文集を作るときに、彼が手話でやっていたのを読み取って、私が日本語に変えて書きました(何度も、私が書いた日本語を手話に変えて彼に確認していました。「違う!」とはっきり言ってくれたので、助かっていました。)


漢字の概念も同じで、漫画の中に 「敵」という言葉が出てきたのですが、意味がつかめなかったんですね。絵を見ても、どういうこと?とチンプンカンプンです。
絵だけでは自信がなかったのです。「あまり仲が良くないという意味なのかしら?」という程度でした。

中学2年生か3年生の頃、映画を見て「敵」の意味が分かりました。
「あ!この人とあの人は敵なのだ!」と映像を通して理解できました。

例えば 「おす」にしても、いろいろな意味がありますね。はんこを押す。ドアを押すとか。
文字を見るだけしか情報が入らないとしたら、知っている単度だけの範囲になりますね。手話による解説があるとと「おす」はどの「おす」か、理解ができます。文字を見て、すぐに手話と結びつけるためには、文字を見るだけでは難しいと思います。


もし小さいときに日本語を覚える前に手話を覚えたていたら日本語はどうなっていたかは、想像ができないですね。 手話を先に覚えていたら、日本語の単語はもっとたくさんあったかもしれないですし、その辺りは分からないです。

手話で概念を育てた後、日本語の概念を身につけることはたぶんできると思うのですが、具体的にどうやって?といった方法はまだ分からないです。聾学校の先生の中には答えを持っている人もいると思います。


手話は介護? 
Mau:ブログをたくさんの人に見ていただきたいという気持ちで、現在このサイトは「生涯教育」と「手話・点字」というブログランキングに登録しています。
そのサイトでは、「手話」は、「介護」のひとつとして位置づけされていて、Chieさんたちが現在「手話を言語」として認識してもらおうと奮闘しているのに対して、「手話=介護」という現状の認識に現実と目標の壁を感じました。

Chie: 手話は聴こえない人が使うもの。だから聴こえないことは障害者であるということ。
民族の少数派とかではなく障害者 障害者=かわいそう 障害者=助けないと!という存在です。



日本の福祉大学の現状「聴覚障害学生支援」とは?
Chie:全国的に見て、私が在籍していた大学はノートテイクという聴覚障害学生支援が活発でした。
先生が話している内容をルーズリーフに、例えば「こんにちは、今日は天気がいいですね!」と書きます。
たまたま、人材不足により、同じ講義を受けている学生に頼まざるを得なかったのですが、書いてもらっていました。

聴こえないことによって授業の内容が理解できない時、聴覚障害学生に適切な支援を行うことが、現段階の講義保障です。


Mau: この講義保障は、聴覚障害を持つ学生と所属する大学との取り決めなのでしょうか。
また、このサービスは大学が斡旋してくれるのでしょうか?それとも自分で探さなくてはいけませんか?

ボランティアをしている学生さん自身も、その講義を受講している方なのか、あくまでも「仕事」としてその時間はノートテークのために来られるのか教えていただけますか(実際のところは後者でないと難しそうですが)。

Chie: ほとんど、大学の中で決められていきますが、現場は学生任せが目立ちます。
分かりやすい授業は、聴こえる人の為にもなると思うのですが。。。

福祉大学はボランティアをしている学生に対してあまり適切な整備があるとは言えません。というのは、講義のノートテイク担当が、ほとんどその受講生なのです(現在は変わったかもしれないですが、私が在籍していたころはそうでした)。

ですから、ノートテイクをしていただいた紙はノートテイクをした学生の学習保障として後からコピーを渡していました。

しかし、この体制は本来は望ましくないことです。なぜなら、同じ講義を受けている学生がノートテイクをすることは、学ぶ権利がなくなるのと同じです。人材不足のためそうならざるを得ないといった状況です。


この大学は昔から障害学生を受け入れていました。そういった歴史から、私が入学した頃は1年生から4年生まで、50名の聴覚障害学生がいました。この在籍率は日本一です。

しかし、日本一だからこそ、問題もあります。
基本的に、講義1コマつきノートテイクが必要であれば、最低2名の支援学生が必要です。

もし一週間に10コマ受けるとしたら、20名必要になりますね。それをもし、自分で探してコーディネートするとしたら、可能な数字なのでしょうか。

幸い、私の大学は障害学生支援センターがあり、相談に応じてくださるスタッフもいましたので何とか間に合っていました。


Mau:先生はろう者や難聴者がいる授業の時は普段よりゆっくりしゃべってくれますか?

Chie:ほとんどはそこまでの配慮は難しいですね。ノートテイクがあるから安心という方もいれば、もともと話をゆっくり90分間話すことは難しいことということで、スタイルを変えない先生もいらっしゃいます。

Mau:お話をお聞きしていると、ろうや難聴の学生が大学で自力で授業を受けることは難しそうです。

誰かに助けてもらう状況は卒業まで続きそうです。こういった現状は、大学からの未来を見据えた優しさなのでしょうか?

Chie:これについては微妙なところですね。社会の厳しさを大学時代に慣れさせることが目的であっても、実際には同じ仲間たちが集うことによってアイデンティティを確立、精神的な自立を目指している場になっています。

大学から学生への奨励金はありますが、1年間に多く活動しても、2〜4万円しかもらえない状態です(最近の動向は分かりませんが)。一方、聴覚障害学生でありながら、聴こえないことを隠す人もいました。支援を受けたくない人が半分くらいいましたね。

理由としては、恥ずかしい、特別扱いされたくないという想いや、聴こえないことについてあまり深く考えていなかったり、分からないことが分からなくて当たり前だったりします。


そんな中で、大学生活を通して変化していった友人もいました。
高校生活までずっと、わからないことが分からなくて当たり前でした。でも手話を覚えた今は自分に自信が出た、と語る友人が何人かいました。

そういう意味で、福祉大学はボランティア精神が強い分、聴覚障害学生がどこまで自立できるかが問われる場かもしれないです。厳しいかもしれないですね。


ボランティア精神が強いと、力関係が生じます。
助けてあげるよ 助けてもらうといった力関係です。


Chie: 例えばノートテイクの字が汚いからもっときれいに書いてほしいと要望したくても、助けてもらっている立場であることから、遠慮していました。

「お金払ってもらっているから、仕事だよ」という想いと「でも奨励金が少ないから悪いかな」という意見がぶつかりやすいです。

要望するともうかしたらもう支援をしてくれないかもしれない・・・と思って言えなかった。障害を持つ人のほとんどが思っていると思います。


Mau:ああ・・・。そうならざるを得ない状況ですね。

Chie:支援者が少ないからお願いする立場 やってもらうしかない どうしようもない状態でした(二年生のときに手話の勉強をきちんと始めました)。

先生の口が読めない 速い 見ているけど疲れる みんなが面白くて笑っていても何が面白いのか分からない 手話ができる学生には後で教えてもらっていました。講義中にビデオを使うこともありました。真っ暗でノートテイクが見えないことも!(笑)


Mau:うっ・・・先生、それはひどい~。Chieさん絶体絶命!

Chie:手話ができる友達に携帯の灯りを使っていました。

前に友達が「レポート書かなくてもいいよ」と言われたそうです、同じ学費を払っていますが、レポートを書く機会も与えられないことになりますね。

また、聾学校を卒業した後、体育系の大学を目指していた後輩が入学を拒否されたという話を聞いたことがあります。 今の時代で?とちょっと拍子抜けでしたが、それくらいまだまだ理解は広がっていないってことですね。


Mau:危ないから?

Chie:たとえば体育の時間に何かぶつかったりして誰も責任をもてないという理由からだそうです。

他にも、友達が別の大学に入りましたが、とても苦労していました。
大学は、「入ることは許可しますが、支援はしません」とし誓約書のようなものを書かされたとか。
そのあと、友達はたまたま手話を覚えたい同期と出会いました。そこからノートテイクと手話通訳を使いながら講義を受けていたそうです。


Mau:そこまでしてくれる友達にちょうど良いタイミングで出会えた彼、彼の友達も幸運な人たちに思えます。
きっとお互いにとって魅力的であり必要な存在だったのでしょうね。

Chie:彼は両親共に聴こえないデフファミリーで育ちましたが、大学に入ってカルチャーショックを受けていました。 その人と出会った、聴こえる人は手話を覚えたあと、今はボランティアセンターの職員として働いています。

Mau:その方にとっては、まさに人生を決定する出会い。お会いしてお話を聞いてみたくなります。
ちえさんご自身も聴こえる学生には想像のできない悩みを抱え、考えながらその時々の答えを導いてきたのだと思います。

現在手話講師として人生を切り開いて生きているちえさんだからこそ、「今」同じような葛藤の中で学び、試行錯誤をしている若いろうや難聴の学生たちに、言えること、できること、それに対する選択肢、そして可能性が見えてきた気がします。

Chie:ありがとうございます。まだ今でも試行錯誤の連続ですが、聴こえる人たちとの関わり、まうさんとの関わりも含めてすべてが新鮮です。今まで知らなかったことを知れたり、逆にこっちが勉強になることもあります。

大学のとき、入って3日で辞めたいと思ったことがありました。
聴こえる人たちの世界を知って苦しくなって「(聴こえない世界と)どっちに行こうかな」とは思っていました。

でも、今の私にとっては、聴こえない世界も聴こえる世界も知っていけたらいいなと思っています。
聴こえない世界は友達との話が楽しいけれど、面白くないというか何かが足りなく感じていました。

聴こえる世界は、難しいけれど言葉がたくさん、日本語を知る機会になっている、と。
それに、手話や日本語を通して人付き合いや物の受け止め方、視点、感覚、感触を知ることができるようになりました。
多様な価値観を知る機会が広がりますね。時にはグサッと刺さることもありますが、これも試練です。

一番いいのは、手話ができて聞こえる人たちからいろいろな視点、価値観について話し合えること。
そういった信頼関係を築いていきながら、お互いが手話を通して、仕事も一緒にできたら最高です。

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by machi-life | 2009-07-03 10:18 | mau+chie life
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