聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
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第19回 (2009.6.26) “ 聞きにくいは、書きにくい? ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

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今回は2009年5月20日(火)に、東京新聞に掲載された、聴覚障害者に文章講座 『書く』も困難 「聞きにくい」が影響 という記事の内容から話を始めたいと思います。

誌面に登場する鈴木隆子さんは、「手話通訳技能認定試験」と呼ばれる厚生労働大臣公認の公的資格試験に合格をし、聴力障害者情報文化センターに登録することで資格を得る「手話通訳士」としてご活躍中です。

手話通訳士のお仕事が分かる 鈴木隆子さんのブログ →  "手話通訳.com"
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2009年5月20日(火)「東京新聞」より (画像をクリックすると大きくなります)

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Chie: 新聞記事の内容について、まうさんはどのような印象をお持ちになりましたか?

Mau: 純粋になるほど・・という印象を最初は持ちました。
言葉は、実際に会話の中で使ってみて(練習をしながら)意味合いを確認したり、定着をさせていくことがほとんどではないかと考えています。
聞いたり話したりという他者との練習が不足しがちなろうの人たちにとっては、聴こえる人たちがある程度自然に身に付けてきていることも、「勉強」をしていかなければいけないのだろうな、と想像しています。

Chie: ありがとうございます。
新聞記事の受け止め方は人それぞれですが、聴こえる人から見て、こういった日本語の使い方についてどのように受け止めているのか聞いてみたかったです。
耳で聞く言葉がほとんど少ないため、オノマトペ(擬態語、擬音語)も含めて、文字による情報が必要になります。

最近は、大学に進学するろう者が増えている(少子化による大学の門戸を広げる背景もありますが、ここでは敢えて触れないとします)ので、ろう者でも日本語ができると思われているかもしれないです。

でも、レポートを書く度に聴こえる友人の力を借りながら無事に卒業にいたった努力家の友人もいました。
その人は人間的にとても魅力のある方ですが、日本語による表現が苦手と言っていました。
もし、その友人が書いた日本語を読んで、その人の能力を全て判断していたら、魅力的なところも気がつけなくなる可能性については、新聞記事の内容でも同じことが書かれていますね。

それくらい、ろう者にとっての日本語は、日本に住んでいる以上、手話と同じように切っても切れない言語だと私は思います。

日常生活の会話として、口話や手話による会話はスムーズにできている人が、実際に文章を書くとなると頭を抱えてしまいます。手話と日本語の文法が異なるからですね。
外国人が日本語の壁にぶつかってしまうのと同じだと思います。

書き言葉による日本語は苦手なのに、手話での日常会話はできているから「一体なぜなんだ?」という疑問は、聾学校時代からずっと持っていました。
1つだけ分かったことは、日本語の使い方について知る機会がなかったこと。
適切な教育を受けていればある程度の書き言葉は習得できると思います。

現代では、携帯電話によるメールを通して、話し言葉を知ることができます。
高校時代に関西弁を使う人とメールをしていました、そのときに「〜やねん」が携帯画面に出てきたときは、「こうやって使うんだ〜」と感動しました。

文字として日本語に触れる機会が増えてきたことから、年配の方と比べれば、若いろう者の方が知っている日本語は多いのかもしれません。
それでも、手話と日本語は使い方が異なる言葉であることから、助詞や動詞の活用等の違いは起こりやすい。きちんとした書き言葉が書けるようにするために、教育現場に立っている方々や関係者たちは試行錯誤しながら毎年研究を続けていらっしゃいます。

まうさんは一般的に、日本語が苦手、と言われてピンと来ますか?(もしそうだとしたら)どんな風に苦手だと思いますか?助詞レベルや、語彙の数が少ないとか。


Mau: そうですね。助詞、いわゆる「てにをは」、などは日本語を習得しようとする外国人にとっても難しいと聞きますし、聴者でも間違えることはあります。
ただ、新聞にあったような「作成した文を 直る お願いします」というような文章は、聴者ではまずありえない間違いです。ただし、コミュニケーションとしての日本語、ビジネスマンとしての日本語能力・・・は別に考えていく必要がありそうですね。

Chie: ありがとうございます。新聞にあったような文章を見て、意図は大体理解できますか?

Mau: 意図を掴むことは可能ですが、想像力を要します。このままでは、ビジネスではまず通用しませんよね。日本語だけではありませんが、ほとんどの言語は、「はなしことば」「かきことば」がありますよね。
会話のなかであれば、この文章でもやっていけるでしょうが、書く文であるなら、かなり無理があります。

Chie: そうですね。仕事ができないと判断される可能性もありますね。
手話の単語の順番がそのまま日本語に出ていますね(助詞の役割は、手話では、手以外の動きにあります)。

社会で働くろう者にとっての痛いところはここですね。ろう学校で日本語をきちんと習得できる教育プログラムができていたら解決できたかもしれないです。


Mau: ろう学校では、「日本語」をどのように教わるのですか?

Chie: 私が受けた教育の範囲でお話しします。

幼稚園時代は、親が書いた絵日記を音読しました。
きれいに発音できるかどうかのチェックと、日本語の文章を文字に沿って発声できているかのチェックでした(もちろん、意味を完全に理解して発声したわけでではなく、「意味は分からないけど、書いてある文字を読めばいいや」という風に機械的に読んでいました)。

小学時代からは、発音の練習と国語の教科書を音読。声は全く聴こえないですが、みんな声を出していました。発声と読み方のチェックができるのは先生だけですね。(不思議な光景!?)


Mau: 音読が中心なのですね。
ろう学校での日本語教育プログラムで足りなかったものとはどんなものだと思われますか?

もし、ちえさんが、いまのろう学校で日本語の授業を受持つとしたら、どのような授業にしたいと思いますか?

Chie:授業を受けた立場から言うと、手話、絵、映像による視覚的情報を使った解説がもっとあったら良かったと思います。
具体的な方法について、現場の先生たちが試行錯誤しながら研究しているので、一度お話を伺ってみたいですよね。


Mau: 作文などはありませんでしたか?あるいは、読書感想文とか。

Chie: ありました。でもあまり意味はなかったかもしれないです。同級生も提出していましたが、結局、文章力は上がらないままでした。

Mau: わたしも読書感想文は嫌いでした(^_^;

Chie: 私も嫌いでした。意味が分からない文章を書くような感覚でした。

Mau: なるほど。
自分で書いている文章の意味がわからない、つまり、なにを書いているのか分からない、ということでしょうか・・・何が分からないのか分からない状況に陥ってしまいそうです。
わたしは、読書感想文は嫌いでしたが、読書そのものは好きでした。また、良い文章を書けるようになりたいと思っていました。そこで、好きな作家の文章をただただ写したりしました。写経みたいに。

わたしがこのようなことを始めたのは、書くことが苦手だっただからだと思います。でも書くことは好きだったので苦手だけれども、上手になりたい、と自分のできそうなことから試してみました。以前のブログでちえさんも好きな映画を暗記して、家族の前で暗唱する練習をしたと言われていましたが、それもちえさんが独自で苦手なところを克服しようと編み出したものではなかったのでしょうか。

Chie: 苦手なことを克服しようという意識はなかったですが、結果的にはそうでしたね。
写経みたいといえば、私も似た経験がありました。小学6年生の頃の感想文で、自分の話したい言葉が見つからなくて「私はおもしろいと思いました」としか書けなかったです。そのとき、母が訂正した文章をそのまま書き写していました。

それでもまだ概念がはっきりしていなかったことだけは覚えています。
まうさんと同様、苦手だけれども、上手になりたいという向上心があるから書けるんですよね。
高校時代からは新聞の投稿もあって、文章をもっと書けるようになりたいと思っていました。


Mau: 新聞の読者投稿コーナーのことでしょうか?!私にも夢中になって投稿した時期がありました。
自分の考え方を、全国の不特定多数の方々に向けて発信をし、紙面上で存在を認めていただき、(時には)コメントをいただく喜びを教えてくれたのは新聞でした。これも立派なコミュニケーション方法と呼べそうですね。

他者と関わりながら、生活をしていくことを決めたのであれば、置かれている状況に合った日本語力を求められることは、ろう者、難聴者、聴者に隔たりはなく当然のことだと思います。言葉の言い回しや使い方等はある程度は自然に覚えていくものですが、人によっては練習の機会や方法に選択肢が無い状況もありそうです。

それらを克服するために、一人ひとりに合った学びは必要不可欠ですね。
特に小さいときは、学校や親に頼るしかない状況です。そうするとちえさんが言われているように、学校(特にろう学校?)での日本語教育は、試行錯誤の段階と言いつつも、それぞれの状況に合わせた日本語教育方法に真剣に取り組み、話し合われていくべきことのようですね(聴こえる学校も試行錯誤中ですが)。

ある程度大きく成長をしたら?
「学校が・・・」「親が・・・」と言っているよりも、自分に何が不足しているのか考えて、頭と身体を動かして、こちらから立ち向かうべき対象、目的とする物事に向かっていく方がよっぽど面白い経験ができると私は信じています。

「いかに学ぶのか」は大人になってからもどこまでもずっと・・・続いていきますね。
学び合う者同士、「◎◎を学びたいから教えて下さい!協力してください!」と情熱を持って懇願されたら、、断ることの方が難しそうです。
一生懸命な大人の人間関係は、学校で学ばなくなった今もさまざまなことを教えてくれます。そこから更に教科書には書かれていない日本語力が培われていることは間違いありません。

Chie:他者と関わる上で、言葉は不可欠ですね。不思議なことに、言葉があってもすれ違いや誤解は起きる。でもそれを直すのも、また、言葉。

ボディタッチもコミュニケーションスキルの1つで、言葉とボディタッチの両方がうまくかみ合ったらもっと素敵だと思います。
学校で一人一人合わせることはなかなか難しいことですが、そういった環境を通って社会に出て、手話を通して聴こえる人たちとの交流が増えていくと自然に日本語を知ることにつながると思います。

今、こうしてまうさんと話をしていることもその1つであり、私にとって日本語で考える、日本語を使う機会になっています。

手話という、お互いの意思疎通が可能な言葉を使うことにより、ろう者にとって日本語を知る機会が拡大していく。また、聴こえる人たちも手話を通してコミュニケーションスキルをアップしていくことで良好な人間関係を築いていける。お互いに学び合うことによって、社会を生きる力として養えますね。


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by machi-life | 2009-06-26 22:46 | mau+chie life
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