聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
by machi-life
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第18回 (2009.6.19) “そこに存在するということ”

「聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie

東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau

“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き

☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Mau: 今日は先回のブログを少し振り返ってお話を進められたらと思います。よろしくお願い致します。

Chie:よろしくお願いいたします。

Mau:過去にも、“気持ちだけが先走りをして、ちえさんと私二人きりが分かったつもりでお話を進めてしまった”とハッと後から思うことはありましたが、先回のブログは初めてブログに遊びに来て下さった方には少々展開が早くなりすぎたといいますか、深いところへ突然潜っていってしまったように感じた方もいらっしゃったようです。

いつの間にか、ブログも、5ヶ月目(!)に入り、さまざまなことをお話してきました。深い内容に突然どぼーんと飛び込んでしまったり脱線してしてしまうこともありましたね。

それは、流れとしては至極当然のことだと思いますが、お互いに意識をして丁寧に説明を加えていく必要もありそうです
ブログを読んでくださっている方にお願いします。「展開が早すぎる!」、「これはどういう意味?」など、どしどしコメント欄に書き込んで下さるようお願い致します。

Chie: 確かに読み返してみると、これから読む方にとっては「え?話の流れが見えない」と想像ができないところにいっちゃっているかもしれないです。
でも、これは説明を加えれば解決できることと思いますが、「分からない!」という方がいましたら、ぜひコメントをいただけると私もうれしいです。


Mau:先回のお話の中で、ちえさんは、 「(ろう者の中には)“自分は困っていない”と言い聞かせることで生きていく人がいる」、と言われていました。
私自身、多分そうなのだろうなとは想像していましたが、はっきりと言葉にしていただくと、「ああそうなのか、そうだったのか」と改めて思い直しました。
たしかに、普段の生活の中では圧倒的な聴者のなかに、少数のろう者がいる、という場面がほとんどだと思います。気を使われるのもつらい、というのも本音なのだろうと思います。

これはあくまで聴者としての私個人の意見ですが、それでもやはり、聴者はこのような場合、ろう者の方々に対して気遣いをすることは、隣り合わせになった人に対する自然な心遣いだと思います。ちえさんと知り合って分かったことですが、具体的には、同時に意見を発しない、なるべく顔を上げて話す、などといったことでしょうか。

隣りにいる人にもその場所に心地良く居て欲しいと願うことは、たとえ聴者同士であっても普段無意識にも、意識をしても行っていることだと思います。ちえさんはどのように思われますか?

Chie: 「自分は困っていないと言い聞かせることで生きていく」ということにおいて、ろう者の方々に気を遣うのは良くないという意味ではなかったです。
その辺りについて、私の言葉の使い方が微妙だったと思います。お互いに聴こえないことについて知っていることが前提条件になっていればお互いに気持ちよく気をつかうことはとても重要で大切だと感じています。

一方で聴こえる人たちのグループの中に入っている時、聴者同士で討論が盛り上がっているときは、話が進んでいるのに止められない、楽しいという雰囲気を壊したくないという想いが出てきた後に、強がってしまいます。

強がらなくて良いのに、強がってしまいます。
「ろう者としてかわいそうと思われるのが嫌」という反抗心みたいなものが出てきて、本当は「ねぇねぇ、何の話?」と教えてもらいたいのですが、気をつかわれて特別扱いにされてしまっているのは嫌だなという葛藤が起きます。

でも、今は分からなかったら聞けば良いと少しずつ思うようにしています。


Mau: すみません、今のお話についてなのですが、ちえさんが言われているのは、聴こえる人たちが普通に話をしているときは、ちえさんも話をしている人たちの口を読んだりして、話に加わっていくことができるけれど、盛り上がってくると、ついつい興奮をして早口になってしまって、話の展開を見失ってしまうのだけれど、話の流れを止めたくないので、「ちょっと待って!」「もう一回言ってみて」と言えないということでしょうか?

Chie: もともと、口の動きを読み取るのは相当なエネルギーが要るので、元気なときなら何とかもちます(笑)。
メンバーにもよりますけど、もしまうさん以外で知らない聴こえる人たちがいっぱいいたときは言いにくいかもしれないですね。
でも最近ある人に言われてハッとしたのですが、存在感を示すことができたら状況はきっと変わるのだと思います。
もし私が「聴こえないわたし」としての存在感が周りの中にあったら自然に共通のコミュニケーション方法が見つかると思うのです。
例えば、オバマ大統領が私たちのグループの中に入ってきたらどうしますか?
オバマさんを無視して日本語で話し続けることはできるのでしょうか?
そんな風に考えてみていただけたらと思います。


Mau: なるほど・・・とても良く分かります。先日そういう話を私も友達としました!

Chie: ちょうど同じ時期だったんですね、これも何かのご縁でしょうか^^どんな展開になりましたか?

Mau: 時々、たくさんの人がいる空間にいて笑っていても、ひとりぼっちを感じることがあります。こんなに人がいるのに、自分が誰ともつながっていないと感じるなんて、おかしなことだと感じながら、自分自身がそこへ存在していることも忘れそうになります。

逆に、普段からの信頼関係があるという前提ですが、たくさん話をしなくても、そこに存在して、しゃべらなくてもただただそこで時間を一緒に過ごすことの気持ちよさを共有できる人はいる・・・それはどうことなんだろうね? かなり抽象論ですが、そんな内容だったかと思います。

Chie: 話の内容が分かるかどうかということだけではないんですね。その人たち同士の信頼関係も大きいのでしょうか?

Mau: 話の内容が分からなくても、居心地の良い空間はちょっとした心遣いで作れると思います。
もしかしたら、ちえさんが「特別な気遣い」と思ってらっしゃることも、ちえさんとお友達になりたい人たちにとってはちえさんに対する「愛のメッセージ」のようなものかもしれませんよ。

I care for you という言葉があります。「care」には、気にかける、心配する、気遣う、大切に思う、などの意味があります。
直訳すると「君のことを気遣っているよ、大切に感じているよ」となりますが、“I love you” という意味にも取れるように思いませんか。
ちえさんの通訳やサポートをして下さった方も、ちえさんを「気にかけて」「大切に思っていたから」「接点を持ちたかったから」支援を買ってでたのではないでしょうか。
直接言葉を交わさずとも、「あなたの存在を感じていますよ」というサインを送っていたのではと思うのです。 

Chie: 今までのことを振り返ってみると、聴こえる人たちとの付き合いが多かった学生時代はなかなか「愛のメッセージ」に気がつかなかったですね。
その頃の自分は聴こえる人たちの中に溶け込めない分、気をつかわせてしまっているのかと落ち込んでいました。


Mau: ちえさんの気持ちを全部理解することはできませんが、落ち込む気持ちも分かる気がします。
聴こえても、聴こえなくても、どんなに友達でも、家族でも・・・気を遣う、気持ちを配るというのは、お互いにしたりされたりしているのではないでしょうか。

私個人の話ではありますが、昔から大きなグループの中で、特に初対面の方々で集まってお話をするのは(実は)苦手です。どうも伝わる気がしないのです。きちんと近くにいる人のお話も聴きたいし、伝えたいと思うと私の場合は5、6人がベストナンバーかもしれません。

Chie: 存在感がそれぞれ薄くなってしまいそうな気がするからでしょうか。

Mau: うーん、存在感というよりも、それこそ気配り&目配りが安心してできる距離感というのでしょうか。
「ちゃんと話したい」んですね。せっかく時間を一緒に過ごすのであれば、何が起きた、起きているかという表面的なことよりも、お互いに、あることについてどのように考えているのかということを、きちんと語りあえる人数とでもいいましょうか。

でも、学生時代から20代の初めには、自分の心に嘘をついて、人に合わせたり、分かったふり、楽しいふりをしていました。今振り返ってみると、そんな自分も愛おしいですね。

Chie: 「ふり」は聴こえる人の中にもあるのですね。

Mau: それはありますよ~、ちえさん!

それは聴こえる中にあっても、同じです。全く分からない話題について話が進められている時は、訊ねにくいものです。まして、たび重なると知っているつもりをしてしまうことはあります。
そうすると・・・確かにちえさんが言われているように、その場やそのグループの集まる場所に行きにくくなって、結果的に避けたようになることもあります。

でも、自分の知識や経験が足りなくて、その場に居たいのにいられない(自分の意志や意見を持って存在できない)ときは、その場へ戻ることを目標に努力をすることもあります。自分の意志のあるところ、そしてそれを皆の前で表現できることができ、何かしら残すことができることが私にとって「存在」することなのかな。

そう考えると、沢山の人がいつも私の中に存在してくれていますね。特に一人で旅をしていると、入れ替わり立ち代わり彼らが出てきて、私の判断を助けてくれます。

Chie: その場に居たいのに居られない、これは結果的に自分自身が「その場の価値」を見出しているからこそ努力ができるかもしれないですね。
いろいろな人、沢山の人の判断というのは、「あの人だったらこうするのでは?」と考えて冷静に判断するのと同じでしょうか?

もしそうでありましたら、私自身もそうした行動を意識することはありますね。

学生時代のゼミの飲み会で、最初はみんなが気をつかってくださったけど、次第に盛り上がって早口になっていました。
でも、私はそれが想像できていたことなので「まぁいいかな」と思って眺めていました。

そうしたら、隣の学生が通訳したんですね。
そのときは情報が伝わったからありがとうって思ったんですけど、次第に通訳している学生に申し訳なくて、「私がいなければ、その人はもっと楽しめたんだろうなぁ」って思った経験があります。

実際にその人に謝ったら「そんなことは思っていない」と言ってくれていました。でも、当時の私にとってはその場にいるのが苦しかったですね。

私がいることによってその学生の楽しみを奪ってしまっているのかも、って。

そう思って以来、ゼミの飲み会にはだんだん参加しなくなりました。

今の私だったら、参加して隣の人を引っ張りだして話をしていたと思いますが当時はそういう勇気もなかったです。

こういった経験もあって、気をつかわれていることについては若干抵抗感を持つこともまだあるようです。
最終的には、みなさんが手話で話せるようになったらその悩みは簡単に消えていきますね。


Mau:さきほど、ちえさんが質問をして下さったことに対してまずはお答えします。
普段は、誰が何を言ったか、詳しいことはすぐに忘れてしまってすぐに思い出せないのですが、判断に迷ったとき、初めての場所に行ったり、出会ったりするときに(特に、自分の能力以上の場に出てしまったときですね)私の中に存在してくれている人たちの話し方や笑顔が次から次へと浮かんで、私と共に居てくれるように感じることができます。

話が行きつ戻りつしますが、私が思うに、きっとちえさんのお隣に座っていた方は、通訳が・・・というよりも、ちえさんとも一緒にお話をしたいから、という気持ちだったのではないのかな?とも思いますよ。

かえってゼミにちえさんが来なくなったら・・・私だったら心配しちゃうかも?!
その方とは、その後もお話をされましたか?

Chie: ゼミには行っていました。あのときのゼミは、みなさん手話ができなくて、手話講座をやろうかという話もしていました。
でも、手話をいざ教えようと思うと教えられなくて。何から手をつけたら良いのかな、という感じで、あっという間に年度が変わってしまいました。

たまたま、ゼミのメンバーとは講義が同じだったことがありました。
飲み会で通訳をしていた彼女から、「ノートテイクをやりたい」と申し出があったのです。
講義保障として、講義の内容をノートに要約筆記をする仕事をお願いしました。そこからまたつながりが持てました。


Mau: きっとそうですよ。その方はちえさんとコミュニケーションを持ちたかったんだと思います。それはちえさんが、がんばっている姿(存在)を見ていたからではないでしょうか。
損得を超えて、何か自分ができることをしたいと思わせる人はいます。ちえさんが学校に来なくて、さぼってばかりいて、人にも態度が悪かったら、要約筆記も要らないし(笑)、申し出てももらえないと思います。

Chie: ありがとうございます。そうですね、学生時代に態度の悪いろう学生(聴覚障害学生)もいましたが、その人の周りからは自然に、支援する学生が離れていきました。

元々、大学は学ぶ場(といっても、私も時々さぼっていました^^;)なので、支援する学生の力を借りる以上、勉強するのが当然ですね。

正論で言えば、勉強する為に支援学生の力を借りる、ですね。

それにしても、まうさんのお話を聞いていると、学生時代の私って本当に浅はかな考えだったなと思います。


Mau: いいんですよ~。きっとその時はそれで。今のちえさんも、大学を一度辞めて入りなおした私も、葛藤したから今ここに存在できるんだと思います。
私はもっとちえさんと甘えあいたいですけどね~(怪しい意味ではありませんので、ご心配なく)。

Chie: あはは〜(笑)、ありがとうございます^^ 甘え合いましょう♪まうさんが大学へ入り直したというお話、まだ聞いていなかったですが、今度お聞かせください。

学生時代はいろいろな意味で、自分を見つめる時間が多い分、何を求めているのか時々分からなかったり、変に熱くなっていました。


Mau: 仕方ありません・・・猪突猛進年ですから、私たち。

Chie: 猪さんぶつかってもまた別のところへ行きますよね。壁にぶつかっても前に行けそうな力を感じます。結局は人間力によって生き方も左右するのかもしれないですね。存在感を示すということにおいても、人付き合いをすることにおいても。

Mau: ちえさんが今ここで率直に、素直に話してくだっていること、いつもお会いするとじわじわとしみ出てくる面白さ、ちえさんの静の世界・・・私は魅了されっぱなしです。そしてそれは、どんな人間関係でも必要なことですね。それがお互いを尊敬し合い、その人にしかできない存在を認めることではと考えます。
似ている部分と、違う部分、その両方があるから、また面白いのでしょうね。

Chie: 本当にありがとうございます。まうさんとのお話はいつも、自分を落ち着かせる、ふと立ち止まって考えさせられるきっかけになっていますし、まうさんとのお話をしているともっと行動的になろうという元気をいただけます。逆にエキスを吸いすぎてしまっているかしら〜と思うときがありますが(笑)でも、本当にありがとうございます。こうしてお話ができることは、それぞれの経験の積み重ねの結果なのかもしれないですね。

例えば学生時代に出会っていたらブログを第17回まで続けることはできなかったかも?とは思います。


Mau: ちえさん、何のエキスを吸ってるんですか~!!

Chie: あはは(笑)まうさんのパワーを吸い取っております(笑)。

Mau: そういえば、10代の頃「作家」になりたかったのですが、机に毎晩向かっても何も書けず・・・。
ある日、「あ、あたしまだネタがないんだ!」ってことに気づいたときの嬉しさったらありませんでした。
面白おかしく、いっぱい失敗を重ねていくことをしていかなきゃ、私らしい文章は書けないんだって心底思えた瞬間でした。周りにいてくれる人は貴重な証人です。

Chie: なるほど!答えは近いところにあったのですね。今だから、ブログ第17回もあっという間に進められたと思います。

Mau: 本当にそうですね。
時間をやりくりしつつ、お互いに心を配りながらのブログ更新は大変な作業でしたが、滞る週はありませんでしたものね。
一人だったら続けられなかったと思います。まだどこへ行き着くのか分かりませんが、これからもよろしくお願いしま~す♪

Chie: 本当にありがとうございます。一人旅にはない魅力な旅もありますので今後ともよろしくお願いいたします♪

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by machi-life | 2009-06-19 11:24 | mau+chie life
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