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聴こえないわたし 聴こえるわたし ~ことば&暮らし~

それぞれの「ことば」を「知ること」からはじめよう
by machi-life
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第17回(2009.06.14) “ろう者に憧れる聴者 ”

聴こえないわたし」と「聴こえるわたし」がブログをはじめた理由

    ① 聴こえる人から見た「暮らし」、聴こえない人から見た「暮らし」とは何かを知る。
    ② ふたつの「暮らし」の違いや共通点を発見し、相互理解に扶助する。
    ③ 改めて「暮らし」について考えることで、わたしたちが毎日をシンプルにかつ豊かに
      送るための手法を探る。

"聴こえないわたし”-Chie
東京ディズニーランドオープンの年に誕生。手話講師
趣味は、写真、読書、映画鑑賞、ゴルフ

"聴こえるわたし”-Mau
“Imagine”が発表された年に誕生。英会話・スペイン語会話講師
旅、自転車、食べることが好き 

♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆  ♪  ☆

Mau: 先週末には、私の主宰する教室の2周年記念イベントにお越しいただき、ミニ・手話レッスンをしていただきありがとうございました。

昨年、教室が1周年を迎えた際に、日頃からお世話になっているお客様、友達、家族に感謝の気持ちを伝えることのできる、みんなの心に残る「何か」を行いたいと漠然と数ヶ月前から考えていました。

初めに頭に浮かんだのは、私自身が起業をして感じた「経営することの難しさ&心細さ」を他に自営で仕事を行っている人も感じているのではないか?という思いでした。それと同時に、会社員時代には満たされることのなかった充実感や日々丁寧に仕事を行うことのできる喜びを含めて、さまざまな事をざっくばらんに話し合える、競争し合うのではなく共存できる関係作りを分かち合える機会を作れないか、と考えたところから構想はスタートしました。

ですから、最初は、自営をされている方、これからしたいと思っている方々を中心に声をかけさせていただきました。こうして、何も無いところ、あえて言えば熱意だけで始まった企画でしたが、予想以上にスムーズに形ができあがっていきました。これは少なからず同じように考えている人がいらっしゃったことが大きいです。もちろん打ち合わせを何度も重ねているのですが、普段のお互いの人や仕事に対する接し方、考え方を見ているからこそ、共有することのできる、言葉以外のものにも助けられました。

この方たちと、みなさんが「素敵なハプニング」を生み出す空間を周年イベントとして、プレゼントすることのできる、二日間だけのちいさな「お店やさんたち(商店街)」を作ることにしました。

これが昨年大好評で、二日間で約180人の方に足を運んでいただきました。
今年は更に、深みを増したお店同士の関係も生まれて、皆さんに喜んでいただきました。

ちえさんが所属されている「手話レクチャーハンズ」さんにも昨年に続いて参加をしていただきました。
二日間共に参加していただきましたが、両日とも異なるアプローチになりましたね。

講師としていらしたちえさん、そして I さんも、手話やろう者に接するのは初めての人たちの前でのレッスンは緊張されたと思います。

第17回(2009.06.14) “ろう者に憧れる聴者 ”_e0172983_0422492.jpg


Chie:お誘いをありがとうございました。日頃お世話になっているまうさんのイベントで、地域に密着したイベントはどういうスタイルなのか、どういう雰囲気なのか、参加させていただく立場で、学べたらと思っていました。
私も参加させていただいていましたが、まさに商店街でしたね。

当日は、クイズをしたり、手話伝言ゲームをしたり、手話に親しむ活動を中心に行いました。
今回初めて、Iさんとペアを組んで教えてみましたが、一人でやることとペアで教えることはかなり違うと実感しました。

Iさんは一通りに教えた後、相手の言いたいことを引き出すタイプに近く、私は、相手の言いたいことを中心に進めていくタイプです。 ペアだからこそ生み出せる物は何なのかという点まで考えられなかったことが一番大きな反省点ですね。

一人でやれることとペアでできることは違って当然だと思います。それなのにできていなかったことは本当はすごく悔しい体験でした。

どちらかというと、Iさんは優しい方ですので私のスタイルに何とか合わせてくれようとしていました。
申し訳なかったです。

ハンズとしては、地域の方々に手話を広める取り組みを行っていることから一人でも多くの方に「手話」を目にする機会を増やすということが目的でした。もう少し強いて言えば、手話を目にすることを通して、手話に触れてもらうという道のりを作ることが今回の目的でした。

以前まうさんと、手話だけを指導するのではなく、まうさんとのこうした対談の積み重ねによって、聴こえないこと、聴こえない人ってどんな人?といった素朴な疑問にも答えられたら良いねという話をしました。

そこで、クイズを出すことによって、日頃の生活で「聴こえない人はどうしているのか?」「手話って世界共通?」ということを考えていただけたらと思っていました。
講義スタイルではなく、和やかな雰囲気のイベントですので難しい説明はせず、ただ、素直に「どうしてかな?」といった疑問を持たせたら・・・と考えていました。
でも、みなさん、意外と「世界共通ではない」と答えていらっしゃったのでちょっと思考停止してしまいました(笑)。

通訳を介して解説したら良かったのかもしれないですが、みなさんに疑問を持たせながら手話を目の当たりにしていただけたらより興味を持つことにつながるのではと思っていました。


Mau:二日目は、IさんとスタッフのHさんでの登場になりました。お聞きになっていると思いますが、その日は「手話」そのものよりも「聴こえない世界」について話題が集中しました。

あの時間、初めて「聴こえない生活」に思いを馳せた人は多かったと思います。
普段の生活の中で、「聴こえない」ことを想像することは全く無い中で、Iさんと会場との質疑応答のキャッチボールは、必ずしもお互いが求めているものではありませんでした。

聴こえる人は、「ろう者は聴こえないことで、困っている」ということを前提にした質問が多く出たように感じましたが、Iさんは、「いえ、個人的に困ることはありますが、それは人それぞれなので、ろう者だからと言って特別困っているわけではありません」。そうIさんが言ったときの会場は、少し拍子抜けしたように思えました。このときの空気に、今のろう者と聴者の価値観や距離の違いを垣間見た気がしました。

Chie:Iさんの「聴こえないこと」についての考え方によるものは大きいと思います。
ろう者といっても、十人十色ですし、困っていると言えば困っていることはあります。
でも、あえて「自分は困っていない」と言い聞かせることによって生きている人もいます。
そうしないと耐えられなくなるからですね。

分からないことを常に追求する、追求すればいいかもしれないですが、目の前で声だけで話されていて「分からないから教えてほしい」と言い続けることはエネルギーが要ります。
分かったフリをすることで自分を封じ込む。困っている自分を見せることなく、気を使われることもなく、といった感じだと思います。

Iさんとしては、聴こえない立場というよりも、「Iさん自身」の立場で答えただけにすぎなかったでしょう。
もし、聴こえない立場として話してほしいと言われたら見方を変えて答えることはできていたかもしれないですね。

聴こえる側としては、「できない」「困っている」という負の側面を観がちですが、それは当たり前のことだと思います。
全盲の人に会うと、私も「見えないって何だろう?怖いかも?」と障害の方に目を向けます。
経験を積めば、「人それぞれだからいいんじゃない?」と思える側面もでてきますけど、負の側面については、「そこまで知る必要はないんじゃないかな」のと、「いや、知っておいた方が良い」という、当事者としての想いが揺れてしまうときがあります。

ハンズとしては、あくまでも手話を広めることを前提にしているため、聴こえないことがどういうことなのかについて話すことは、相手が求めていれば答えるようにしています。
聴こえないことと手話は関係しているものですが、聴こえる側からにしてみれば、「手話」と「聴こえないこと」は別物と捉える方もいらっしゃると思います。

通訳を介したことにより、1日目よりはろう者の方から情報を提供することができたと思います。
ただ、通訳を介してというより、最終的には手話を通してお互いに情報を提供し合うことがハンズとしての理想、ろう者としての理想でもありますので通訳を使うことには積極的になれずにいました。
でも結果的に、少しでもみなさんにとって情報提供できたのであればそれはそれで良かったと思います。


Mau:なるほど、そういうことだったんですね。
私自身も、今回のちえさんの意図を捉え違えていたようです。
二日間イベントに参加していただいた方も多くいらっしゃいましたが、その方たちには2つの違った手話に対するアプローチを体験することのできる機会になったと思います。

今後私たちが共催イベントを開催するとしたら、どんなことをしてみたいですか?

Chie:手話の他にホワートボード、パワーポイント、パソコン、ITを使いながら対談することはできそうですね。
2時間の企画で、たぶんあっという間に終わるのではないでしょうか?

お互いに一つのテーマについて対談しながら、フロアの意見を聞いてみたり。合間に手話の体験として、手話を覚えていただく。そして、英語と結びつけてアメリカ手話を教えるということもできると思います。
(簡単な自己紹介程度でしたら、アメリカ手話は分かります)。

まうさんと私のやり取りを観て、聴こえる方、聴こえない方が「ちぐはぐしたやり取りから、どうやって意思疎通できるようになるか」というプロセスを楽しみながら(?)観ていただくことも新鮮な取り組みではないでしょうか?

フロアからのサポートは「なし」として、まうさんと私の二人がどこまで通じ合うかをだまって見守ってもらうような空間。それが、通訳を使わなくてもコミュニケーションが出来ることの証明につながるのではないでしょうか?

音声言語の通訳については、まだ勉強不足なので容易には言えませんが、手話通訳に限っての話について、通訳を介するとなぜか、その人の話の意図がうまくつかめずにいます。
また、こちらの意図が確実に伝わっているのかいつもおろおろします。

例えば、ビジネスや緊急の時は通訳を介しても問題はないですが、プロであることが前提条件になりますね。

このように、通訳を使う(言い方を変えれば通訳を頼る)ことをあえて外しておいて、お互いがコミュニケーションをとれるようにするためにはどのようにする?ということを示すことが、聴こえない子どもたち、聴こえる子どもたち、大人の方々も参考になっていただけるかなと思います。

まうさんとしては、いかがでしょうか?


Mau:いいアイデアだと思います。ちえさんの案が第一部としたら、第二部は参加して下さる皆さんをまじえて、ときどき通訳の助けもかりながら、このブログで話し合っているような場を作れたら面白そうですね。まずはとことん話をしてみる・・・そんな時間もちえさんと作れそうです。
また、「公開ブログ」のような形も試してみたいですね。

Chie:学生時代に「ろう者になりたい」、「ろう者の輪の中に入りたい」という聴者がいました。

最初は珍しいなという程度でしたが、そのうちに、「聴こえないから通訳が必要」、「同じ空間に聴こえない人がいるときは手話を使うべき」、「手話ができない人よりも手話ができる自分の方が良い」といった姿勢、言い方が目立つようになりました。

ろう者として、(聴者が)そこまで言えるのはすごいなと思う一方、ろう者のことを分かったつもりになられても困ると思っていました。

あるとき、手話サークルの運営だったかで、そのひとと意見が対立した時、「ろう者になりたいのなら、耳を刺して聴こえなくなるようにしたら良い」という発言をしてしまいました。

今はさすがにそんなことは言えないですし、そう思わなくなりましたが、ろう者のことを分かったつもりになられるとあまりいい気分でないことは今でも同じです。「私の何を知っているというんだ?」という感じですね(笑)。

学生時代に数十人のろう学生(聴覚障害学生)がいましたが、人付き合いは本当に十人十色でした。ろう者の中に入りたがる聴者を招き入れてご飯をともにする人もいましたし、私みたいに聴こえる聴こえないは関係なく、話ができる人と話をしたりしていました。

もしかしたら、大学の中だけで起こりうる現象だったり・・・?
学生だからのんびりやるというか、嫌でも自分を見つめる時期があるからだと思いますが、その辺りはどうでしょうか。


Mau: 一途に物事を考える時期はあります。学生時代だけではなく今も同じようにそういう季節は巡ってきますね。いろいろなHello&Good-byeをくり返して、私自身、日々変わっていくように感じています。

ということは、他の人も変化しているということになるわけですから、「今日」の友達の形は「明日」変わるかもしれない・・・でもそれもまたありなのだと納得しています。そう思えない出来事もあったりしますが、心では分かっているつもりです。
明らかに学生の頃とは違うのは、無理をして友達を作ろうとしなくなったことでしょうか。
年を重ねるうちに、私がどんなにマイナーチェンジを重ねても、側にいてくれる、楽に居られる自由な友人が増えました。それはきっと若い時分に、あーでもないこーでもないと一生懸命もがいた経験があるからだと思っています。きっと今のちえさんにも、学生時の葛藤は生きていると思います。

ちえさんの先ほどのお話にあった、いわゆる、「ろう者に憧れる聴者」はどうして出てくるのでしょう?

Chie:自分に自身がない。
ろう者独特の雰囲気があり、そこに馴染めない。
ろう者同士は家族みたいなイメージ。

私が今まで出会った聴者の中で、ろう者ってうらやましいと言う人は上記のことを言っていました。

私から見れば、「ろう者独特の雰囲気があること」は手話が使えてコミュニケーションができる者同士の集まりだから、手話が使えない側から見ると当たり前の印象かもしれないですね。
でも、ろう者だからそういう雰囲気と決めつけるのは少し早い気がします。
ろう者に限らず、手話が堪能な聴者であれば、馴染めます。
卒業旅行でろう者4人、聴者2人のメンバーで行きましたが、全員同じ空間を楽しんでいましたし、聴者からも「人生最高の想い出」と言っていました。

徹底的に手話ができればクリアできることだと私は思っています。

「家族みたいなイメージ」
これは、ろう者同士が出会うと「あの人知っているよね?」という話題がよく出てきます。
聾学校の数が少ないこと、ろう者の数が聴者より少ないことによって人と人のつながりはみえないところでつながっています。
「あの聾学校の先輩知っている?」と一つの地域のような、話題に出ることはあります。
でも、信頼関係があるかといったら別になります。ろう者だから仲がいいということはまず、ありえませんね。
日本人同士だから仲がいいということはない、のと同じですね。

そこを勘違いして、ろう者同士は家族みたいというイメージを持つ聴者がいます。たまたま、私の周りにはそういう聴者が寄ってきただけかもしれないですね(笑)

最後に、逆に、「聴者になりたいろう者」というテーマだったらもっと盛り上がるかもしれないですね。
私自身も、聴者になりたいと憧れていた時期がありました。
今でも「聴こえるようになったらいいな」と妄想にふけるときはあります。もし聴こえていたら私はどんな人生を歩み、何を考え、誰と出会っていたのだろう?という風に。
聴者に憧れる想いは、聴こえるという聴力レベルによるものが私にとっては大きいですね。

「聞き忘れた」とか「今の音は聞いてなかった」という聴者と話をする度に「もっと耳を活用せよ!」と言いたくなります(笑)。
でも、それは目が見えない方に「もっと目を活用せよ!」と言われるのと同じになりますね。
ついつい、人間は与えられた機能を当たり前のように受け止め、最大限に使えるところまで使っていくことが案外難しいのかもしれないですね。

長くなりました。Mauさんからのお話も聞きたかったです♪


Mau:あいたたた。 この話題については、続きのお話が必要な気がしますよ。
もう少しゆっくり私なりにも考えてみますね。

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みなさまのご意見もお聞かせください。

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